ダークヒーローが持つ善悪の境界の曖昧性 ~悪をもって悪を制すは善と言えるのか~
進撃の巨人のエレン・イェーガー、チェーンソーマンのデンジ、東京喰種の金木研、嘘喰いの斑目漠、デスノートの夜神月、怪獣8号の日比野カフカ。有名少年・青年漫画の主人公たちですが、彼らには共通点があります。それは全員「ダークヒーロー」と呼ばれているという点です。昨今、ダークヒーローなるものが注目を集めています。ダークヒーローとはどのようなヒーローなのでしょうか。そしてなぜ最近人気を得ているのでしょうか。今回はそんなダークヒーローについて、映画「THE BATMAN」の主人公バットマンの性質から考えてみたいと思います。
バットマンはアメリカにて最も有名で人気のあるヒーローのひとりです。バットスーツを身に纏い肉弾戦にて闘う姿や、バットモービルを乗りこなし激しいカーチェイスを繰り広げる姿には少年心がくすぐられます。そんなバットマンですが、他のアメコミヒーローとは一線を画し、暗くて難解なヒーローとして認識されています。なぜでしょうか。それは彼の生い立ちと能力からくるものかと思います。
幼少期、彼は目の前で両親を強盗に殺されました。両親は街一番の資産家で人格者でもあり、街の人たちみんなに慕われていました。そんな偉大で尊敬する両親を悪の手によって殺されたのです。そこから彼は悪なるものを憎み、犯罪をなくすため自らの恐怖の象徴であるコウモリをモチーフにしたスーツを制作し、そのスーツに袖を通し「バットマン」として活動を始めました。ただし彼のやり方は正攻法ではありません。「暴力にて悪人に恐怖を植え付けることによって犯罪を減らす」、これが彼の最善策です。すなわちバットマンの考える正義とは「悪をもってより深い悪を制する」ことなのです。したがってバットマンもまた、ダークヒーローであると言えるのです。
では、なぜ彼はこのような方法を取ることとなったのか。おそらくこの方法は本意では無いのでしょう。実際に劇中でも幾度となく苦悩と葛藤の描写が入ります。そうせざるを得ないのです。なぜなら、彼はなんの能力も持たないただの凡人だから。強いて言えば両親から相続した莫大な資産を所有していることくらいでしょうか。例えば同じアメコミヒーローとしてはスパイダーマン。彼はクモに噛まれたことから手首からクモ糸を出すことができますし、スパイダーセンスという第六感にて危険を察知できます。他にもキャプテン・アメリカ。彼は超人血清を注射されたことにより誰にも負けない強靭な肉体と運動能力を手にしています。あるいはハルク。ガンマ線を浴びたことにより超人的な怪力と頑丈な緑の身体を得ました。さらにはアイアンマン。天才的な頭脳にて研究開発したアイアンスーツを着て空を飛んだり手からビームを出したりします。ドクター・ストレンジ、ワンダ、マイティーソーだってそうです。いずれのキャラクターも、意図せず偶然能力が手に入ったり、特別な手続きにより力を得たり、生まれた時から既に秀でていたりと、どこか選民のような性質があります。
では、バットマンは?彼には特別な才能は何もありません。人並み以上の強靭な身体は持っていますが、所詮一般人が努力した程度。常に全身あざだらけ、傷だらけでボロボロですし、背骨だって簡単に折られ戦闘不能になってしまいます。探偵と言われるほど頭もいいですが、選択を誤ることもありますし、頭脳派ヴィランに小馬鹿にされる描写だって多々あります。開発したバットスーツには特段強い機能がついているわけでもありません。要はバットマンとは、器用貧乏で正義感の強い、ただの一庶民なのです。そして、そんな凡人な彼が悩みに悩んだ挙句出した結論は「暴力の恐怖によって犯罪を防止すること」だったわけです。
ただ、このやり方は正義と呼べるのでしょうか?絶対悪とは言えないにしろ、絶対善とも言えないように思います。善悪の境界とは非常に曖昧なもののようです。数年前、「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」という広告が話題となりました。何が善で何が悪なんて一様に決めることはできない。善悪とは立場によって異なるものなのかもしれません。
そのように、特別な能力を持ち得ていないからこその苦悩や葛藤、限界、諦めを以って「善悪とは何か」「正義とは何か」といった概念を再検討する機会、すなわち哲学的問いを提供してくれるところにこそ、バットマンの真骨頂があるのではないかと思ったりするわけです。このように哲学する機会や気付きを与えてくれる、これこそがダークヒーローが人気の理由であるかもしれません。マーベルヒーローにカタルシスを感じるのも良いですが、DCヒーローに現実を投影し深く考え込むこともまた一興であります。
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