ryuchellさんの訃報に関連して
Facebookで友人がryuchellさんについて「ゆっくりお休みください」とつぶやくのを見て、芸能活動を一時休止するのかなと思いました。確かに、ryuchellさんに対するSNSでの誹謗中傷がかなりひどいものだったので、寂しいけれど心身の健康のために少し休んだ方がいいかもしれない、と私は気楽に考えました。
次の瞬間、ryuchellさんの逝去を報じるニュースが目に入りました。私はひどく動揺し、しばらく言葉を失いました。記事によると、「現場の状況から判断して自殺だった」だそうです。
なぜ? 最初の反応が戸惑いでした。一体全体、なんで?
なぜryuchellさんが死ななければならないのか? いなくなった方が世のため人のためになる有象無象がこの世界にはほかにたくさんいるというのに?
しばらく経って、ほかの感情がふつふつと湧いてきました。
悲しみと、憎しみと、怒り、そして無力感。
そして、今年4月の東京レインボープライドに登場していたryuchellさんの姿を思い出す。内面も外見も、あんなにも美しい人なのに。あんなにも人々を、性的マイノリティを勇気づけようと努力してきた人なのに。
そんな人が、一体全体、なぜ死ななければならないというのでしょうか?
ryuchellさんの自死の動機は、現段階ではもちろんまだ何も分かっていません。したがって妄断すべきではありません。
しかし、昨年8月、ryuchellさんの離婚のニュースが出て以来、ryuchellさんに対する誹謗中傷がSNSを中心に一気に増えたことも事実です。
人様の結婚や家族関係に、まったく関係のない有象無象がなんでそんなことが言える? 本当に何様のつもり? としか思えないコメントも多数あり、心底嫌気が差しました。
それでもryuchellさんは活躍しているように見えたし、今年4月の東京レインボープライドで見かけた時は本当に元気で美しかったので、私もほっとしました。ネット上の誹謗中傷を気にせず、自由に生きてほしいと、心からそう願いました。
私は基本的に芸能事情には無関心な人間ですが、いつかryuchellさんに会い、何か一緒にできるといいなとこっそり考えていました。
そして今日の、突然の訃報。
繰り返しになりますが、自殺の動機はまだ分かっていないので妄断するつもりはありません。
また、私の知っている限り、ryuchellさんは見た目こそ女性化しているものの、トランスジェンダーとしてカミングアウトしているわけではないし、性自認も公表しているわけではありません。だからこの記事ではryuchellさんはトランスジェンダーという前提でトランス差別云々の話をしないし、ryuchellさんに対して性別のある人称代名詞も使いません(ネット上の少なくない人が、ryuchellさんをトランスジェンダーだと決めつけ、短慮でおぞましいトランス嫌悪の言葉を投げつけているのは紛れもない事実ですけれども)。
現段階で私に言えるのは、「誹謗中傷と差別言説は文字通り人を殺す」という一般論だけです。
今でもSNSを見れば、一人の人間が亡くなったというのに、なおも執拗に誹謗中傷をしている連中がいます。そんな手合いは、私には人間の心を持たない下劣な畜生にしか見えません。
ネットで見ず知らずの他人に対して心無い醜い誹謗中傷をしたり、差別と恐怖を扇動したりするような卑劣な連中に対して、私はとりあえずこれだけは言っておきたい。言わなければどうしても気が済まない。
お前らは全員、恥・を・知・れ!
私はあの世も来世も信じません。人が亡くなれば肉体が分解されるだけです。
しかしryuchellさんに対しては、私は心の底から、本当に心の底から、冥福を――もしそれが望めるものであるならば――お祈りしたいと思います。
生きることが地獄であるこの世の中で、本当に、今までお疲れ様でした。
* * *
ryuchellさんの話は以上であり、ここから先は私自身の話になります。読みたくない人はここで離脱して構いません。
このスピーチ原稿で書いたように、私自身も2021年7月芥川賞受賞以降、夥しい数の誹謗中傷を浴びてきました。私への人身攻撃、差別発言、低レベルの侮辱と悪口、そしてデマと誤情報が、SNSを中心に広まりました。
これらの誹謗中傷はかなり長いあいだ続き、今でも散発的ではありますが続いているようです。
誹謗中傷の程度は激しく、私は一時期、不眠や眩暈など心身の不調に苛まれました。一人でいる時にふと襲ってくる不安と恐怖にも苦しみました。上階の生活音や床の軋みが伝わってくるたびに、誰かが自分を殺しに来たのではないかとおののいたくらいです。いっそのこと自死して解放されるほうが楽なのではと考えたこともありました。心療内科を受診し、抗不安薬を飲み、長い時間をかけてようやく通常通りに生活と仕事ができるようになりましたが、それでも私は今も、講演や対談など人前に出る仕事をする時、聴衆の中に攻撃者と誹謗中傷者が潜んでいるのではないかという恐怖に苛まれます。
誹謗中傷をする人は99.9%、匿名の人です。匿名の陰に隠れて、つまりは安全な場所にいて、娯楽としてこそこそ人に石を投げつけるような最低最悪の卑劣な連中です。
誹謗中傷は人の心を蝕みます。人を死に追い込みます。私は自分の身をもってそれを体験しました。
そして、これは私自身の体験からも言えることですが、ある程度の著名人になると、希死念慮を抱いた時、相談したくても本当になかなか相談先が見つからないことがあるのです。自分のことを知っている人が多い分、相談中に開示した情報やプライバシーがどこかに漏れてしまうのではないかと危惧するのです。つまり心理的に孤立しやすい。私のような世間的認知度がそれほど高くない作家でもそうだったのだから、芸能人となるとなおさら難しいのではないかと想像します。
私を知らない人に言ってもどうせ伝わらないと思いますが、ある時期の私を個人的に知っていた人であれば、私がどれほど辛くて、しんどくて、死にたかったのかが分かると思います。少なくとも何となく察するのではないかと思います。
私が生き延びたのは、仲間がいて、そして文学があるおかげです。
それでも私が一時期、死の淵ぎりぎりのところにまで追いやられていたのは事実です。
私はそこまで美しい人間でもなければ、とりたてて性格のいい人間でもありません。ひどい仕打ちを受けたらやり返したくなるし、傷つけられたら復讐心に燃えます。
匿名の陰に隠れて見ず知らずの他人に対して石を投げつけるような愚劣で卑怯な連中を、私は絶対に許しません。
これまで公にしてきませんでしたが、私はすでに何人もの誹謗中傷者に対して法的措置を取ってきました。刑事告訴もあれば民事訴訟もあります。男性もいれば女性もいて、日本人もいれば台湾人もいて、年齢だって二十代から六十代までと様々です(六十代になってもネットで誹謗中傷に興じるような人は、一体どんな育ち方をしたのか、虚しくならないのかと、私は今ひとつ本当によく分かりません)。
私はとりたててできた人間ではありませんが、執念だけは人一倍強いです。執念がなければここまで生きてこなかったし、そもそも作家という生き物は大抵、執念深いです。
誹謗中傷をするような卑劣な連中を、私は法廷に引きずり出し、必ずや法の裁きを受けさせることを、ここで宣言します。
最後に、生きるにはあまりにも醜すぎるこの世界を、それでも生き抜こう、生き延びようともがくすべての人たちに言いたいです。
どれほど打ちのめされても、どうか希望を見失わず、ともに生き延びましょう。