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Vol.40 ドラえもん

日本の現代文化を世界に輸出できる「産業」にまで押し上げた功労者といえる作品だと思います。
70年代から80年代に日本は自動車や電化製品の輸出ばかりで世界から”エコノミックアニマル”と蔑まれていたのですが、戦後初めてその文化作品を世界に発信することができたというのは大きな意味があります。
まさにどこでもドア的に日本の魅力を世界に紹介したわけです。

1970年連載開始
実はドラえもんという作品は70年代になかなかユニークな展開をしています。
そもそもの原作である漫画版は小学館の学年誌「小学○年生」とよばれる雑誌で連載されていました。世界観や人物設定などが細かに配慮された作品でもなく、その時々の需要で行き当たりばったり的な内容で子供向けに描かれたものでした。

幻のアニメ第1作
いまはマンガ誌で人気の出た作品をアニメ化するのが一般的ですが、70年代当時のテレビまんがは今と違ってテレビ局主導で企画・制作がされていました。
そのような中、先行して人気を博していた藤子不二雄作品「オバケのQ太郎」や「パーマン」の柳の下のどじょう的展開かつ大人の事情でドラえもんはアニメ化されました。これが1973年に日本テレビで放映された幻の第1作です。
そもそもの期待値も低いプロモーションであり(裏番組にマジンガーZ)また70年代特有の金銭トラブル等々も重なり、26回の放送であっけなく終了、これといった足跡も残すこともありませんでした。

ブレイク
ところが74年に藤子不二雄の収入アップのために企画された単行本化(てんとう虫コミックス)全6巻をきっかけに人気が盛り上がり始めます。そもそも学年ごとに内容も雰囲気もバラバラであった掲載作品を整理して単行本としてまとめたものなのですが、この手法がこの作品のカラーにマッチしたわけです。
コミックスでのまとめ読みはドラえもんの世界観に引きずり込まれる独特な体験があります。ぼくにとってもこのてんとう虫コミックス版ドラえもんが一番思い出深い作品です。
ちなみに6巻の最終話が名作と言われるドラえもんの最終回(ドラえもんを安心して未来に帰すためにのび太ひとりでジャイアンをやっつける回)です。
結局コミックス版は大ヒットとなり6巻で終了することができなくなり継続、最終的には45巻に至ります。
その後77年のコロコロコミック創刊、79年のテレビ朝日放映のアニメ第2作(大山のぶ代版)などで存在感はさらに高まります。
80年の劇場版「ドラえもん のび太の恐竜」以降、人気は世界中で高まり続け今に至っています。

ドラえもんは日常生活にSFテイストを持ち込んだという独特な作品であり、「戦い」が中心であった当時の他の作品とは大きく異なっていました。
文化や嗜好が多様化していくなかで生まれた作品でした。
そんな70年代の社会の流れを感じながら読むといまでも味わいがあります。
世の中がどんどん便利になっていく時代、更に人々が想像もつかないような便利な道具(非現実的な魔法のようなものではなくて)を描くことは、空想というよりも未来への「憧れ」や「期待」だったように今となっては思います。
70年代はいまよりもずっと未来に期待をしていたのです。

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