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Vol.34 松田聖子

アイドルという産業

1980年に「裸足の季節」でデビュー、80年代以降の女性アイドルのあり方のフォーマットになった人物です。彼女の登場はまさに70年代の終焉を意味するものでした。

60年代から70年代にもアイドル歌手という市場は大きなものでした。
豊かな時代を迎えエンターテインメントがテレビやラジオというマスメディアを主体にしはじめた時代、アメリカのショービジネス手法に影響を受けた仕掛け人たち(ジャニー喜多川などが代表例)が素材を見つけて育て、プロデュース・プロモートする手法を作り上げました。
かわいらしいティーンエージャーのアイドルたちの裏側には「大人たち」がたくさんいたわけです。シンガーソングライターやセルフプロデュースのアーティストが現れる前の話です。


70年代の総括として

70年代には山口百恵というアイドルの基本形がありました。
多くのアイドルたち(とその裏方たち)がこの基本形を元に市場を広げていき、それは当時の多くの若者たちの生活の一部になりました。
一つの文化が生まれたと言っても良いと思います。

松田聖子もそんな流れから生まれているのですが、彼女には圧倒的な総合力(ルックス、存在感、歌唱力など)がありました。
九州のローカルオーディションでもそれほどの結果も出ず、デビュー時もそれほどプッシュされなかったにも関わらず、大人たちの目論見を超えてしまうような作品を生み出しブレイクしていきます。セカンドシングル「青い珊瑚礁」やファースト・アルバム「SQUALL」にはいま聴いても恐ろしいパワーが感じられます。

その頃同時に仕掛け人の世代交代も始まっていて、この新しい素材に若いプロデューサーやアーティストが目をつけます。
松本隆、細野晴臣、荒井由実など当時のトップアーティストやアレンジャーが松田聖子という作品に参加していきます。
70年代に育った日本のポップミュージックシーンがここでアイドルという「お茶の間アイテム」に合流することで新たな世界を開きます。

松田聖子という存在には70年代に育った日本のポップカルチャーを開花させ、80年代という時代のドアを開けたという大きな功績もあるわけです。
その後の彼女は時代に合わせて形を変えながら多くのファンを魅了し続けています。
本当にチカラがあるアーティストの代表ですね。


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