方法序説
大学時代、専門の経済学以外でお気に入りの講義がありました。
「水曜3限 哲学」です。
いわゆる超絶楽単というやつで、出席しなくても出席点で単位が取れるという神っぷり。
安易に想像できると思いますが、ほとんどの学生は授業に参加してませんでした。
それだけならまだしも、大学で最も広い教室での講義だったものであまりにもガラガラでした。
ただ、その教室には穏やかな時間が流れていて、都心のビルキャンパスにも関わらず都会の喧騒から離れたような落ち着く雰囲気の講義でした。
授業内容も面白かった記憶があり、その影響でたまに哲学書を読んだりもします。
本題に話しを戻しましょう。
ふとした瞬間「自分って生きてんのかな?全てバーチャルなんじゃないか?」みたいな感覚に陥ることってありませんか?笑
16世紀から17世紀を生きた数学者であり、哲学者のルネ・デカルトは「ワレ惟ウ、故ニワレ在リ」とおっしゃいました。(世の中のありとあらゆる物が夢かもしれないけど、こんなことを考えている自分の魂は確かに存在するみたいな)
デカルトの著書『方法序説』に記載がありますが、「ワレ惟ウ、故二ワレ在リ」の一文だけ有名で一人歩きしているような気がするんです。
この『方法序説』には現代を生きるワレワレの座右の銘にもなりうる思想がちりばめられています。
第三部に格率(規則のような意味)についての記述があります。
「第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。」(岩波文庫引用)
後に続く文を意訳して書くと、
「自分でコントロールできるのは自分の思考だけ。それ以外は自分じゃどうしようもできないんだから、ベストを尽くしてダメだったのならあなたが悪いわけじゃないんですよ」
元経済学部生として世の不平等について無視できない立場ではありますが、ここで言う運命(環境と言っても良いかも)に打ち克つというのは「相対的に」ではなく「絶対的に」という意味であって、他者と比較するのではなく「自分自身に克つ」ということなんだと思います。
ちなみにデカルトは数学が好きだと本人が言ってますが、哲学は解が一つに決まらないからクソだとも言ってます。
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