見出し画像

心を覆い隠すモノ


アシュタールさんはよくパンツの話をします。
あえて、わざと過剰に深読みしてみます。

パンツって、人の内面を守る象徴ですよね。
心の内を覆う、わかりやすい形です。
みんながパンツを履いてます。
だけど、外に大っぴらにするものではありません。
みんな、表向きの気持ちで人と相手しますが、みんなが持つ心の底を覆い隠すパンツを履いてることで、どこかで内面を保っているところがあるでしょう。

子どもは自我が育つ過程で、パンツを人前で見せなくなりますね。
そして多感な思春期に、心の中が深まっていきます。
心の中を見せられなくなる頃と同じ時期に、一定の人は異性との交流が深まります。
初めて異性にパンツを見せる時は、心を見せたい、自分の心を知ってほしい、そんな気持ちが高まった時だと思います。
そして、初めてパンツを脱ぐ時は、心を見られるのと近いような、恥ずかしいような嬉しいような気持ちだったことでしょう。
相手がパンツを見せてくれるほど自分を信頼してくれた、いよいよパンツを脱いでくれるほど自分に委ねてくれた喜びがあります。

こんな青春ドラマがある人もいれば、酷いもんだったから思い出したくない人もいるでしょう。
思春期や青年期の心とパンツは繊細ですね。
おっと、パンツを脱ぐのに抵抗がないそこのあなた!、いい大人なのはわかりますが、心の丸裸の恥じらいは大事ですよ。むしろ心が奥まりすぎてるのかもしれませんね。

人それぞれの濃淡はあるけど、パンツは心の砦であり、心の解放でもあります。
そこまで隠喩したアシュタールさんのパンツネタは流石です。
いや逆に、幼児相手にウンコやチンチンと言うだけでバカ受けする、高次元からは私たちは幼児、そんな気持ちでパンツネタを言ってるかもしれないけど。


宇宙に対して心を開いていけるか
、それがオープンコンタクトかもしれません。
だからといって、外で夜空に向かってパンツを脱いではダメですよ。警官とコンタクトしてしまいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?