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フラクタル王仁三郎は望ましいことを望んでる

日本雛形論をご存知でしょうか?
子供の頃に地図を見ていて、四国がオーストラリアに、九州がアフリカに形がよく似ていること気づいた人も多いでしょう。
出口王仁三郎によれば、日本は世界の雛形であり、地形は互いに照応するとされています。
本州はユーラシア大陸、北海道はアメリカ大陸に酷似しているとし、日月神示では、
「日本の国は世界の雛形であるぞ、真の神の国であるぞ」としています。

reddit参照

出口王仁三郎を引用している陰謀論は多いと思います。本人の評価は別にして、この日本雛形論について思っていることがあります。
私はこれは、フラクタル図形の原理があるのではないかと考えています。

フラクタル(fractal)というのは、「自己相似性」という特殊な性質を有する幾何学的構造です。
以下は、線分を3等分し、分割した2点を頂点とする正三角形の作図を無限に繰り返すことによって得られる図形です。

自然は無秩序なカオスのようにみえますが、観察すると同じ構造が繰り返される「フラクタル構造」になっています。
樹木や、葉脈、稲妻など、自然の中には、同じパターンが小さくなりながら繰り返され、全体が複雑な形を成します。

この同じパターンが小さくなったのが、大陸に対する日本列島の気がするのです。
どこかの島々も、さらに小さく同じパターンがあるのではないかと思います。

そもそも、日本の形なんて切り取り次第です。
北海道も江戸時代まで日本ではありません。
南樺太や千島列島も、ソ連の不当実効支配してるだけで日本領土です。
太平洋戦争時は、満州から東南アジアやインドネシアまで含めた大東亜共栄圏です。
豊臣秀吉以前は、東北も別の国、九州や四国も独立自治区、日本なんて形はありません。

結局、日本のアウトラインはない、日本国政府が時代の都合で形をなしてるだけです。
たまたま近現代の日本の形なのに、神の国の形なわけないです。
更に言えば、海の総量が違えば海岸線も変わり、現在の日本の地形になりません。
それくらい、日本のカタチなんて曖昧なものです。

出口王仁三郎ファンには申し訳ないですが、選民思想の罠に気をつけたいものですね。


この文章を書いた後に、柳田国男の話を見つけ思い出しました。
日本人の予言力は、零点がついてしまった
戦後の柳田国男は、こう結論して、続けます。
「今でも人は望ましいことを望もうとするが、それが空夢でないことを信ずるには骨が折れる。」
この「今でも」は、今でも、です。
望ましいことを望んでるだけ、かも。


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