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神との対話で作る自分


自分で出した答えしか、自分を作れない。
神様でさえ、あなたの人生を操作出来ない。

突然に神の啓示を受けました。嘘ですけど。
あなたではない神様が、あなたを操作することはできない、と神様に教わったら、矛盾が生じて面白いですね。
一般的に想像する神様は存在しないけど、神と対話するように自問自答します。

自分の中でどう考えていいかわからないことを、処世術として神の視点を使いますよね。
大変なとき、以下の考えがあります。
神は、その人が乗り越えられない試練を与えない。
なかなかいい考えだと思います。若い頃は感銘を受けました。
しかし、神はそんな試練を与えるのでしょうか。神は試してくるのでしょうか。

イエスは、悪魔の誘惑と戦っている時、神を試してはならないと言いました。
人が神を試してならないように、神も人を試してはならないのでしょう。

神は試してこない。自分が試してきてる。
神は試練を与えない。自分が試練を与えている。

そういう風に考えるようになりました。

自分で考えるというのは、結構大変ですよね。
仕事でも、指示待ち人間にならず、自分から仕事を見つけていくべきと言われます。
こう言われるほど、指示を受ける方が楽なのかもしれませんね。
人は、神にこうした方がいいとか言われたい
占いや守護霊に、あなたにはこれが合っている、こういう道が開けてると言われたい。
プラシーボ効果があるかもしれませんが、その偽薬に依存するようになり、どこかでノセボ効果(効果のない薬でも思い込みによって副作用が出てしまう効果)になることになってしまいます。
人は神に決めて欲しいんですけどね。でも、そういうことじゃないんでしょうね。


実際に何か霊体やエネルギーによって効果が出る時もあります。
自分で行うのではなく、誰かに依頼して行うという行為では同じになる、社会通念になります。
神社に何かをお願いしたら、祈祷料で任務遂行する実行部隊だと祭神を捉えることにならないでしょうか。
弁護士や探偵に依頼して、自分の代わりに遂行してもらう。こういう社会の取引の感覚のまま、弁護士事務所に行くのと、神社や守護霊鑑定の所に行くのが同じになってないですかね。
依頼内容によって合法的な事なら日常で済むし、報酬トラブルも少ないでしょう。
だんだんとエスカレートし、縁切りや略奪の恋愛成就などをお願いするようになると、復讐屋や暗殺者に依頼すると同じ事になり、希望通りになっても報酬トラブルで散々な目にあうかもしれません。
それもまた、自分が出した答え通りの自分の結果かもしれませんね。

神社仏閣を訪れる文化を否定してるわけではありません。私も訪れるのは好きで、かなり巡りまして、段々と分かって来ました。
日本人の良いところの自然を愛する気持ち、それと同じように在りたいですね。
自然に禍々しい気持ちにならないように、神社仏閣や占いやスピリチュアルなども禍々しくなく訪れたいものです。


やはり、自分を作るのは、自分が出した答えなのでしょう。
その人の在り方通りに、ギフトという名の試練が来て、自分は何なのか試され、自分を見つめ直す。その試練ギフトを出す人は自分
なかなか手厳しい自分ですけど、神と対話するように、自分と対話する、などと考える。
すると、神とは自分だった、と気づく話でした。

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