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話すだけで過失窃盗罪に当たる


アシュタールさんはたまに、人のギフトを奪ってはいけませんなどと言われます。
バシャールや他の高次元情報も、他の人の信じていることを盗むな、などと時々言われます。

私たち物質社会に生きる人間としては、盗むとか奪うといったら、所有する物質やお金などを基本にして、社会的な権利や時間などの概念も含まれますが、せいぜいそのぐらいです。
なので、犯罪を恐れドアに鍵を閉め、社会制度上で税金を奪われ、労働する時間を奪われている感覚があり、搾取される被害者の意識があります。

同時に、社会の中で様々な人と会い、自分が正しいという前提で、人にいろいろ意見を言ったりします。
相手の右向く気持ちを左に向けようとしたり、良かれと思って助言などをしたりします。
体験をさせないことでその学びを奪う、この人が自由に信じることを自分の信じることを上書きさせて盗む、私たちは自覚のないままこういう略奪行為をしてたような気がしますね。

私は自分の意見を持ってあれこれ判断します。それが良さそうに評される社会ですが、意見を持つというのは相手の意見を覆すともいえ、相手の何かを奪っていることが、無自覚に起きている気がします。
逆に、自分の意見を持たず他の人の意見にはいはいと流されていくのは、よくないように見えますが他人から何も奪ってないと思います。
なんか色々自説を述べる私は、強盗と同じなのかと時々思います。

Give and Take の表向きの社会で、
Be stolen and Steal が実態かもしれません。
物を奪われる治安が悪いサバイバル生活エリアもありますが、思想信条の自由ってのも治安が悪いサバイバル精神エリアなのかも。


そして、1番の問題は1人称でのことでしょう。
自分に対し奪ってる視点を忘れてはなりません。

あなたは「出来ない」と考えて、出来る自分から奪っている。
あなたは「苦しい」と考えて、楽になる自分から奪っている。

思うような人生を送れないからと今までの自分が、これからの自分から素晴らしい体験を奪っています。
今の考えで、これからの体験を奪っています。
この瞬間に、嘆く自分から嘆きを奪い、素晴らしい体験を取り戻せるかもしれません。
自分から奪う罪を重ねる自分を自覚して、心の治安を良くし、あなたの未来を守りましょう。
…警察の標語みたいになって来ました。

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