ken×2
LGBTQ当事者が語るドラマの感想やあれこれ
診断されたわけではないですが 自分自身が感じているのは 「不安障害」 僕は最近未来についてすごく不安になる 母が死んだことで より拍車をかけてているようだ 今後必ず起きる、父親が死んでしまうこと 今住んでいる家に住めるのか? 田舎の祖父母の家も相続してしまうのか? この先どうなってしまうのか、、、 など、 とにかくいろいろと不安な要素が出てきてしまう。 まだ 日常生活は過ごせているが やっぱしここ最近悪化しつつある気がする メンタルクリニックに行
母が亡くなって6ヶ月程だろうか 結構な頻度で 母は僕の夢に現れる 夢の中の母は元気そうな時もあれば、 介護をしていた時の病気の姿の時もある 夢に中々現れない人もいる中で 母は頻繁に会いに来る 僕としては大歓迎だ だけど、夢から覚めるとやっぱしその分寂しさはあるけど ある科学者の話がある この宇宙には 数え切れないほどのパラレルワールドが存在す 夢は 無数のパラレルワールドの中の自分という存在と夢で繋がっていると つまり 夢は 別の自分が見ている光景
連投ですね。 書こうと思った時じゃないと書かないのでまとめて こういう人間は夏休みの宿題をギリギリでやるタイプなんだろうなと 話は戻りますが 西成という言葉を知ってる人はどれぐらいいてるんだろうか 関西住みなら知ってるとおもうけど 西成は大阪のやばい場所 と言われてます。 昔はかなり凄かったみたいですが、今はマシになってます それでも、ホームレスがたくさんいるし 薬物売買もあったり と 海外で言うスラム街のようなイメージが近いかと ※あれてる場所はご
少し前、 令和の虎で 故人をAIで蘇らせる という案を持ってきた女性がいた 少ししかその番組をみてないけど 社長たちに、めっちゃ批判されていた だけど、 僕はそうは思わない もちろん、自分の母親が亡くなったことは、大きいけれど もし、その技術で蘇るのならば僕は利用したいと思う 特別な機能はいらない ただ、毎日5分でも会話ができたらそれだけでいい AIで蘇らせたからといって、 本物ではない それは百も承知 なら なぜ必要か それは 死を受け入れる
ほんと、 最近BLドラマが日本でも盛んになってきた 十数年前、 YouTubeで初めて LGBTを扱った映画を見た 何度か記事にしたかもしれないが Love of Siam この映画がタイでヒットしてからか タイではBLドラマが作られるようになった そこから、 様々なタイではヒットBLドラマが生まれて BLドラマは若手俳優の登竜門になった 日本も今 BLドラマが若手俳優の登竜門になってる BLドラマが増えたことで世の中は変わったのかな? 偏見が少
グリーフケアのオープンチャットに参加してるのですが、 大切な人が亡くなって悲しい気持ちは十分わかる、自分もそうだから だけど、 何人か ん? って思う。 その理由は、「妬み」 両親が亡くなられた人で 同じ大切な人を失ったとしても 家族がいる人は自分の悲しみなんてわからない みたいなスタンス 正直、妬みはその人の問題 お前は、その人の環境じゃないからって 自分のものさしで他者を比べるなよ ってすごく感じる こういうタイプは 交友関係が乏しい 金銭
LINEのオープンチャットで 母親を亡くされた方たちのチャットに参加してたのですが、、、、 さまざまな人がいるって改めて知った。 共通点は 母親を亡くした それだけど、 その生活背景によって、失った悲しみが身体的に影響されているということ。 特に、精神疾患を持っていてる人 生活基盤が不安定な人で母親に頼ってた 交友関係が母親のみ このパターンの人は、 母親との依存度が高く、そんな人が 母親を失うと、 本当に生活ができなくなってしまうぐらい崩れていって
長くなります、そして暗いです。 僕にはBroが一人いてます。 もうめんどくさい、 兄です。 もう兄とは縁を切ろうと思う って話です。 話が長くなりますが、興味があればお付き合いください あと、コメントをいただけたら助かります。 僕の考え方がおかしいのか? いやいや、お前は正しいよ。 意見を知りたいです。 昔々の話から 僕と兄は子供の時から仲は良くなかった その理由は、兄は自己中で傲慢 だったから。 正直、昔から仲は良くなかったけど それなりの普通
今度、グリーフケアーの資格を取るために東京に行きます。 グリーフケアーとは死別の苦しみを抱える家族のサポートをすること 死別は経験した人しか理解できないと思います。 もちろん、死別以外の大切な人との別れが含まれます。 もちろん、離婚や恋人との別れなども含めて 生きていれば、どんな人も別れを経験することとなります。 その時、どのぐらいのダメージを受けるかは人それぞれでしょう。 いなくなってしまった人との距離がどのぐらいか、、、、、 関係性が密であればあるほど、 そ
タイ同性婚 マジで羨ましい 日本もいつになったら同性婚OKなるのか ほんまに切に願う
ついにタイも同性婚ができるようになりますね。 日本はいつになることだろうか
おかんが亡くなって1ヶ月が過ぎた いまだにポッカリと空いた大きな穴は埋まることはない 毎日納骨堂に線香をあげて 話しかけて また家に帰る 前までは、実家に戻っておかんのご飯やおむつ交換、薬を飲ましたり、他愛のない会話をしてた だけど、今は線香をあげて納骨堂にひたすら話しかけることが僕のルーチンになっている 死してなおもおかんとのつながりを持ち続けたいのだろう 正直なところ、仕事はどうしようかとずっと悩んでいる 看護師になったのは母のため もちろん資格があれ
母が亡くなって1週間ぐらい経つ 実家は何も変わっていない。 ただ、そこに母がいないだけ。 なんと不思議な感覚だろうか、、、 GWがあるため まだ介護ベッドや車椅子が返却できていない。 母のために買ったおむつ類の山が沢山残っている。 きっと、まだまだ生きるとその時までは思っていた。 きっと、部屋が片付いていくにつれて 母がいた環境ではなくなっていくのだろう。 母が亡くなる何日か前に緩和ケア病棟に面会に行った。 アイスが食べたい、氷が食べたい その訴えがあり、ほ
Note 新しいアカウントを作った。 おかんの闘病生活について、おかんがどういう人だったかとか 近くでおかんをみてきた家族の辛さや思い 自分やおかんの生きた証を残したいと思ったから。 また、この経験が癌と戦う方々の何か役に立てばと思って 別のアカウントで書き出した
おかんが亡くなって お通夜、告別式が終わって 本当にいなくなった。 もちろん悲しみは 今まで生きてきた中で、もっともダメージが大きいけど それでも 命ある僕らは行きていかなければならない。 時間が癒やしてくれるかはわからないけど、 それでも歩いていかなければならない。 これが、生きてる者の宿命だと思う。 親の死は 子供への最後の教育 そういう言葉があるように ほんとに教育だ そして、最大の宿題を残していく 親の死に向き合いながら 自分の人生を歩
5時21分 おかんが天国に行った ほんまありがとうな!