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首長が最前線に立たない限り世の中はもう良くならない(選挙の神様・藤川晋之助氏インタビュー後編)

わが国政界の表も裏も知り尽くす選挙の神様

藤川晋之助さん。1953年生まれ。自由民主党旧田中派代議士秘書から大阪市議会議員(2期)。旧民主党、みんなの党、減税日本、東京維新の会などで選挙参謀を務め、143選挙で130勝13敗と勝率9割を誇る選挙の神様。2024年7月7日に執行された東京都知事選挙で前広島県安芸高田市長の石丸伸二候補陣営の選挙でも選挙対策事務局長を務めた。今の危機的な日本を建て直すためには、既存の国政政治家では間に合わず、首長がそれを代替しなければならないという結論に至ったその思想的背景と特徴的な選挙戦略を2回にわたって深掘りします。

観念的な政治では飯が食えない

-藤川さんが最初に政治に携わったところからお話を聞かせてください。

藤川 僕らの世代は学生なんて周り政治に関心あるやつばっかりの時代でね、ノンセクトでいること、ノンポリだっていうのは恥ずかしい、学生運動の時代でした。僕が高校に入学したら1週間後にヘルメットを被った20人ぐらいの高校生が校長ごと校長室を占拠しちゃった。1年生の僕は体育会系で単純だったんで、彼らの論理はわかんないけども校長にそんなことするのはおかしい。暴力は駄目だ、助けに行こうって、50人くらい集めて木刀持って脱出させようとバリケードをバンバン外していく。だからみんな関心が高くなっちゃうんですね。当時、新聞を作って、例えば公明党はどういう政党だろうとか思ったりして隣町の市会議員に会いに行ってインタビュアーみたいに聞くと、高校生の目で見てもあんまり大したおじさんじゃないな、このレベルが議員になってるのかなと思いました。
 当時の一番の関心時はベトナム戦争で、共産主義が嫌いな人たちは反共の最前線でここが負けたらドミノ理論で日本も共産化しちゃうっていう自民党系の人と、いやいやそれはそれとしてソビエト、中国は天国のような国で共産主義社会になるのが歴史の法則だ、だからやるんだという左翼系の人たちは先鋭に対立してて、安保闘争があったんです。米ソ冷戦構造の中でこれからの日本の位置はどこにあるのかを考えるときに、戦争に負けた日本の国はものすごく難しい立ち位置だなとつくづく思うわけですね。アメリカの従属国家みたいな立場に立ちながらも、ソビエトや中国に付くべきかというとそれはないだろう。だから非常に中途半端だけども、日本はアメリカの世界戦略にとって必要な国になって、そのおかげで朝鮮戦争とかベトナム戦争とか軍需産業でどんどん経済成長してきた部分がある。
 みんな「平和だ平和だ」なんて言ってるけど戦争のおかげで儲けてきてる部分あるよねって若い頃は雑に物事を考える。でも、「右にも左にもなかなか行きにくいな」って言いながら、現実の学生運動を見たいなと思って早く東京に行ってみたら、ストーンっと何もかもなくなっちゃう。三無主義と言われて、みんな無気力無責任無感動の学生たちの時代へ断層のようにコロッと変わっちゃったんですよ。それまで全共闘で幹部だった人が外務省の安保課長になるんです。安保反対って言ってた人が安保賛成になるんですよ。

-賛成どころか推進ですよね。

藤川 そう。下から見てて、あの人たちは命をかけてやるって言ったのに、どういうことだろう。安田講堂が崩れた後、大学法も通ったんで、警察が入るようになったら一気にみんな下火になっちゃった。せっかく東京に来たのに政治を語ってると変わり者のようなシラケた時代が一気に来ちゃったんですよ。だから人の歴史や意識の変化はすごいんだなと思っていました。そしたら、先輩もみんな自民党の秘書になっていくんですよ。政治に関心あった連中が、おまんま食わなきゃならないとなってくると、左側に行くと全く食えないんで、そこら辺にみんな集まってくる。「あかつき部隊という極めて過激な左翼組織にいたAさんがなんで自民党の秘書やってんの」っていうような現象がいっぱい起きるんです。彼らは基本的に頭いいから、そこは上手いんです。結局、僕もそういう先輩たちがいっぱいいたんで自民党秘書に入っていくことになりました。

昭和の首長選挙は予算の分配から

藤川 そして初めて見たのが田中角榮です。僕らが安保だベトナム戦争だと言って国際社会の現実に対応しようといろんな話をしてたのに、日本の政治は全く関係ない。財務省に集まる日本のお金をどう分配するか。そのための陳情民主主義。だから、いかにこの道路にいくらお金をどうするか、そんなんばっかり。初めて田中先生の演説を聴いたときに何て言ったか。「諸君、我が国の政治の要諦は道路である」とこう言ったんですよ。道路?憲法じゃないの?安保じゃないの?道路?って理解できなかった。ところが、地元市町村長が来て、その人たちをいつも農林省や厚生省や建設省に連れて行く。秘書の役目をし始めて、30代の東大出たような若造に60代の市町村長さんが「よろしくお願いします」「あ、はいはい、そうですか」ってやってる姿を見て「これか!」。これが官僚と市町村長、つまり日本の地方自治の現状だとして勉強し始めてみると、ずーっと続いてきた戦後のパターンで、どう考えても問題ある。だって、陳情しながら、「この道路は今年は100mだけです」「こっちは200mです」とかちょっとした差だけですよ。一気にすればいいじゃん。そしたらどんだけみんなができたって喜ぶか。地域の利害があるから利害調整のために仕方がないのはわかるけれど、それを何十年もかけて小さく分散しなくても、首長が優先順位を決めてこれはここだってやればどれだけ街が見違えるように変わるのかなと思うでしょ。でも、長い目で20年30年経ったら往時の雰囲気がないぐらい街が変わるじゃない。

田中角榮曰く「諸君、我が国の政治の要諦は道路である」

-右肩上がりの時代ですからね。

藤川 それから今度は衰退していくのを見ているわけです。学生時代は観念的に物事を考えたのに、現実では市町村長に受けた陳情を予算の箇所付けを発表される前に聞いて「市長さん、こんだけ予算付けましたよ。うちの先生頼みますよ」って選挙運動を兼ねたお金の分配にして、だから自民党は強いという体制が続くわけです。今はそういう政治家の役割も極めて少なくなっちゃう。

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