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嫌われる改革でもやり遂げるのが首長の責務(久保田后子・前宇部市長インタビュー)

退任後に始めた市民活動としてのSDGs

―久保田さん、お久しぶりです。ご退任以来ですが、お元気そうにされていて何よりです。今回は創刊を迎えます『首長マガジン』という雑誌の巻頭を飾っていただきますが、首長の覚悟や決意、孤独や決断、そして愉しみというような首長の醍醐味を、経験者のキャリアを振り返りながら現職と共有できたらという趣旨で発刊したいと思っています。久保田さんといえば全国市長会でも注目の的でして、副会長をされていた最中に突然退任されてしまいましたのでその衝撃は大きかったのですが、退任されてからはどんな活動をされていますか。

 久保田后子前宇部市長(以下「久保田」) 退任の理由は、全治6ヶ月の大ケガの治療に専念するためでした。職を投げうっての治療の効果があって、3ヶ月余りで完治したので、健康づくりのためにグラウンドゴルフやウォーキング、さらにはガーデニングや料理などこれまでやりたくても時間が十分に取れなかったことをいろいろと楽しんでいました。そのような穏やかな日々の中、相談ごとや困りごとが寄せられるようになり、自宅まで来られる方まであって、ついに事務所開設を検討し始め、幸いにもいい物件があり決断をしました。

―この事務所は元々クレープ屋さんだったそうですね?

久保田 はい。最近になってオンライン教室を開設するためにリフォームされていましたので、事務所的機能はすべて整っていました。ここでやり始めたのが「SDGsてらす」です。2018年に宇部市を「SDGs未来都市」の選定に導き、SDGs視点で縦割り行政に横ぐしを通し総合化する試みを進めてきた責任もあるので、SDGsを市民活動で取り組むことにしました。そこで、「暮らしをSDGs視点で照らす」という意味を込めて「照らす」として、みんなが集まる場所としての「テラス」と掛け合わせて「SDGsてらす」とネーミングしました。すでに6本のSDGsソーシャルプロジェクトを始めています。もちろん、身近な生活課題についての相談は、毎日やっています。行政に携わっていた者は、様々な相談機関についての知識がありますから、相談者の状況に応じた交通整理ができます。

街中のクレープ屋をリフォームしたSDGsてらす事務所

―特に市長経験者はそうですね。あらゆるものに関与しなければならなくて、あらゆる決断をしてこなきゃならなかったから、何をどうしたらいいかっていうことが直感的にわかりますよね

久保田 そうです。SDGsの看板のもと、誰もが気軽に立ち寄り相談ができる場所の「テラス」です。2021年7月に法人登記をして第三期に入ったところです。現在、取り組んでいるプロジェクトのひとつがサスティナブルファッションです。新品ニット生地の切れ端や未使用で廃棄される布・糸から、新しい商品を生み出していくものです。「AMISONJI」ブランドとして商標登録して、現在、楽天市場で販売しています。SDGs目標12番の「つくる責任、つかう責任」の取り組みです。2022年12月、中国地域女性ビジネスコンテストで大賞(中国経済産業局長賞)を受賞したことから、ソーシャルビジネスとして本格化するところです。

―資源を無駄にしない優れた取り組みですね。

久保田 ありがとうございます。また、SDGs目標の4番「質の高い教育をみんなに」の取り組みとして、子どもたちの学習支援プロジェクト「みんなのわくわくワーク」事業があります。家庭の経済力が教育格差を生じる問題を重視しており、学童保育のように多くの子どもが利用する場を学習機会のひとつとしたいと考えました。学童保育利用の子どもたちの勉強時間を増やすために、国語・算数・英語の学習用DVDを作りました。実際に学校現場で英語指導をしている先生たちの協力を得て、教科者に基づきオリジナル版を制作しました。学童保育は、特に夏休みや春休みなど長期休暇中は朝からの利用になるので、とても長い時間があり、学習用DVDの活用で楽しく勉強してもらいたいと考えました。昨年、初めて配布し利用後のアンケートをとったところ、好評だったため、今年も夏休みにむけて第2版を制作中です。

―コロナの最中なんか大変でしたしね。

久保田 教科書に準じた学習用DVDは初めてとのことで手ごたえを感じています。他市でもご希望があれば、無償で提供いたしますよ。

―それはありがたいですね。

久保田 「誰も取り残さない」がSDGsの基本的考え方であり、17項目はすべてがつながっています。さらに日本の食料自給率やエネルギー自給率の低さは、国の防衛や安全保障の面からも問題であり、対策の強化が本当に急がれていると思います。

誰も取り残さないSDGsの横断幕

宇部のポテンシャルを活かすために市長へ

―防衛力増強の前に食料もエネルギーも高騰していますからね。一番根底となる政治参加が全くできておらず、政治に対して諦めみたいな感じだったりもしますし。

久保田 その通りです。投票率が低いですから、固定票を持ってる人たちが強い。

―その固定票は何かっていうと、SDGs的に「つながる」ではなくて、一つひとつが塊になって「縦割り」になっている。

久保田 政治分野における男女共同参画の推進に関する法律ができても、女性政治家の人数は低迷しています。政権交代が起きにくい状況は、男女を問わず新人の参入が難しく、政治家の固定化や世襲化が増えていると思います。

―そして、徐々に劣化していく。

久保田 投票しても何も変わらないから行かない。政治への期待が薄まり、諦める人が増える、投票率は下がるという悪循環になっていきます。

―市長室にいたときにはわからなかったことが、辞めてから見えるようになってきた。市民の近くで息づかいを感じながらやっていくっていうのが一番大事だと。でも、それって久保田さんが最初に政治に携わったときからずっと同じモットーだったのではないんですか?

久保田 その通りです。元々が草の根の市民活動をやっていたので、おっしゃったようにある意味で原点に戻ってきた感じです。政治や行政が市民と良好なパートナーシップを創ることで、まちづくりの連帯感の高まりや市民活動の活性化につながると思います。一方でその反対だと市民の活動意欲にも悪影響が出ます。

―見えてきたわけですね。

久保田 私が市民活動に参加したのは、宇部をもっと暮らしやすく魅力ある街にしたいからでした。そして、政治参加することでそれを加速しようと考えました。でも市議会議員になり、旧態依然とした現実の政治行政に驚き、何とか変えたいと行動しましたが、うまくいきませんでした。そして、宇部市議から山口県議になったことから、県政全体を俯瞰し、県内他市との比較考察ができるようになり、そこから市長職が視野に入ってきました。

―うんうん。では、久保田さんが市長になろうと思ったきっかけとしては、具体的にどんなことがあったんですか?

久保田 県議になって県政や国政がよく見え学べる立場になって、宇部市の大きな可能性に気づきました。宇部の多様な地域資源は、全国的に見てもポテンシャルが高く、活用しないのはもったいない。海、山、湖、川と豊かな自然に恵まれた工業都市であり、第一次産業も厳しいながら持続しています。まちなかに大きな都市公園のときわ公園があり、空港、港湾、便利な道路交通網は新幹線の駅にもつながっています。このような豊かな資源を活かすことでもっと元気な宇部の創造ができると考えたことからでした。 

強い反対に負けずに行財政改革を断行

―そうして市長を三期弱やってこられて、任期の中でこれは誇りにできるという決断とか、悩み悩んで決断を下して行かれたことなどはありますか?

 久保田 厳しい行財政改革の実行は大きな決断でした。市長選挙前、公開されている資料から財政状況が悪いことは十分把握していましたから、マニフェストに行財政改革を入れ、重点的に取り組むことにしていましたが、現状は想定以上でした。市長になり詳細を調べて見ると、第三セクターの膨大な借金や学校耐震化の対象施設に体育館という大きい箱ものが入っていませんでした。しかも市内のほとんどの体育館に耐震性の課題があり、建て替えが必要でした。このため、まずは、行財政改革を徹底的にやって、自主財源を確保しなければならないと考えました。民間サービス事業として成り立っているものは民間に移行する、民間委託や民営化に着手し、ガス事業の民間売却や給食調理とゴミ収集の民間委託を進めました。これらは、決して新しい手法ではありませんが、それまでの本市の行財政改革と比べると、今の言葉で言えば異次元でした。

「異次元の行財政改革を断行した」と振り返る久保田前宇部市長

―それにはやっぱり反対とかはあったんじゃないですか?

久保田 そうです。とても大きかったです。

―反対意見に対してはどういう対応をされたのですか?

久保田 ブレずにやるしかなかったですが、議会での質疑は大変でした。さらに、あまり大きな金額ではないのですが、消防音楽隊の廃止も厳しく追及されました。

―消防の音楽隊はどこもありますね。

久保田 音楽の専従職員がいるところもあると思いますが、宇部市の消防音楽隊は、音楽演奏の専従職員はいません。消防職員が忙しい業務と兼任していました。練習時間も必要ですし、音楽隊としての出演がある時は、24時間体制の消防救急ですから交代勤務の配慮が必要です。超過勤務や休日手当も必要です。

―廃止したら音楽隊業務はどうなるんですか?

久保田 市内の中学校では、クラブ活動で吹奏楽をやっているところがあり、山口県警察音楽隊や宇部市民オーケストラもあるため、イベントなどでの音楽演奏で困ることはなかったと思います。

―困ることがないのに何で反対があったんですか?消防の組織の中からの反対ですか?

久保田 問題がわかりやすく、久保田改革のシンボルになったのかもしれません。議会での厳しい追求や反対署名活動もありました。このこともあって、二期目の選挙は厳しいものになりました。

―はい。聞いているだけで厳しそうですね(笑)。

久保田 市長給料と退職金カットだけではなく、ラスパイレス指数が高かった職員給与のカットもやりましたから、対抗馬が選挙で掲げたことは「職員を守る」だったようです。

―行革については市民に対してしっかりと趣旨を知らせていかないと駄目ですよね。そうでないと反対勢力が潰しにかかりますから。そのコミュニケーションはどういうふうにしたのでしょうか?

久保田 もちろん市広報誌も使いましたが、身を切る改革に対する市長の強い信念を伝え、理解してもらうために市民の中に直接出ていって、改革の必要性を詳しく説明しました。説明会の会場では、うれしいことに行財政改革に賛同して、もっと積極的にやってほしいといった心強い意見が出されたことも忘れ難いです。やはり正確な情報と分かりやすい説明をすることが基本です。

―なるほど。市民は久保田さんを信じてくれたと。職員組織はどうでしたか?

久保田 職員は、基本的に反対だったと思います。

―そうですよね。市民のための改革をやろうと思ったらそれは当然なんですよ。

久保田 職員の代表が市長選の対抗馬に出るぐらいですから、大半はアンチだったと思います。

―そうすると行革を進めていくときっていうのは、庁舎内に仲間っていうのはあまりいない状態で?

久保田 そういうことです。

 ―組織の中で意思決定するときの情報はどのように集めたのですか?

久保田 公務員は、気持ちは反対でも組織で働いているわけですから、市長から求められた資料は出してくれましたが、私の役所外の人的ネットワークの活用や市内外のデータなど独自で情報収集して、役所の資料を客観視するようにしていました。

―成果としては、どのように市民に示したのですか。

久保田 マニフェストで掲げた以上に行財政改革を厳しくやることを余儀なくされたことは苦しかったですが、就任からの4年間で事務事業の総点検や定員適正化などを断行した結果、目標としていた「4年間で40億円の財源創出」を超える59億円の財源創出を達成しました。さらに財源創出の成果だけでなく市政の構造的課題を見える化しました。

―ものすごくストイックだったんですね。

久保田 そうです。その結果が二期目の激戦の選挙になったわけです。

 激戦となった選挙の最中に・・・

―選挙で対抗馬が立てられて、厳しい選挙を戦われたと?

久保田 相手陣営には、政党や議員たちがついて大々的に動いている状況だったので、私の方は、勝ち目がないと見られて、選挙事務所の人の出入りは寂しかったです。結局は、市議時代からの支援者たちの女性とシニアの人たちが、最後まで支えてくれました。

―うひゃあ、リアルですね。

久保田 さらに追い打ちをかけるように、選挙期間の真ん中の水曜日お昼前、遊説中、転倒してしまい、左ひじの粉砕骨折となり、即入院して手術になってしまいました。当然のことながら、選挙戦からの離脱です。

―選挙中にですか!

久保田 はい。だから選挙カーは乗れなくなり、そのまま病院行きです。

―それでどうしたんですか?

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