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#0「レベル0」の人生の歩き方


あなたのレベルはいくつですか?


いきなりですが

これを読んでいる人は「自分のレベルがいくつなのか」考えたことがありますか?

何かできること、できたことを「1」としたら

自分はレベル10だという人もいるでしょう。

レベル100の人もいるでしょう。

僕はこれまで

自分の事を「レベル100くらいはあるよ」

そう思って生きてきました。

これまでの人生を振り返り、それなりの経験、出来たことはたくさんある。

その積み上げがレベルだとしたら、「僕はレベル100くらいあるんだ!」

疑うこともなく

そう思ってきました。

本当にそう思ってきました。

ある時、疑問に思います。

・・・オレって、レベル100あるのか?


本当に?

表面的なことは「知っているつもり」

掘り下げると

「なんでそうなっているのか」全くわからない。

「全く」だ。

わからない「土台」の上に、経験値が積まれていて

その結果「僕はレベル100だ」っておかしくないか?

よくよく考えると、絶望しかない


事実、「経験したらしい」ほとんどの記憶は曖昧です。

曖昧なものが、経験値としてカウントされ、レベルに反映されるのか?

色々経験したけど、経験値としてカウントされず

レベル0の自分がそこにいたらどうだろうか?

絶望しかない。

絶望しかないから、自分には価値があるはずだ。

そう思っているに過ぎないのでは?

レベル0の自分は受け入れられない。

「自分はレベル100くらいはあるんだ」

そう言い聞かせているだけでは?

僕は、レベル100の仮面を被って生きている


周りの人にも「僕はレベル100ありますよ」という顔をして生きている。

何でもできますよ。

知っていますよ。

何でもできるフリをして生きている。

自分自身にも、周りの人にもウソをついている。

それでいいのか?

できるフリをして生きること

他人に対してどうすれば「できる奴」として見てもらえるか?

僕の人生は「できるフリ」をする為にあるのだろうか?

「できるフリ」をすることで

一体何ができるようになるのだろうか?

人生の目的が「できるフリをする」になっていないか?

誰もいない空間に一人になったとして

これまでの人生や自分にできたこと

そして「本当の自分のレベルはいくつか?」

リアルに考えると、「僕のレベルは0」であった。

できるフリをしていただけだった。

知っているフリをしているだけだった。

ただ、それだけだった。

なんで、自分はできるフリをしているのか?

「自分がレベル0だとあきらかになるのが怖いから」

誰かに評価をされるには、どうすればいいか?

「僕はレベル100ですよ」という顔をして

自分や他者をだまして生きればいい。

僕は、怖いからできるフリをしていただけだ。

仮面を取ったら、レベル0だった


リアルな僕は

レベル100ではなく、レベル0なのだ。

これは謙遜でも、遠慮でもなんでもなく、レベル0だ。

変えることができない。

事実はこうだ

「自分はレベル0、何も知らないし、何もできない自分がそこにいるだけ」


事実を目の当たりにして

とても絶望する

「これまでの自分を自分が全否定した」

そう思ってしまったからだ

ただ、事実は事実。

これまでの全ての事に対し、とても恥ずかしい気持ちになりますが

気がついたからには、何か変える必要がある。

そう思った。

僕は、少しずつ仮面を外す事にした。


そもそも

なんで僕は「レベル100ですよ」という顔をしていたのだろうか?

レベル0の自分だと、みんなに見捨てられる。

そう思っていたからだ。

見捨てられるのが怖いから、できるフリをしていた

レベル0のやつには価値がない。

みんなに相手をしてもらえない。

できるフリをしないと、みんなに相手にされない。

相手にされないと

この世界では、生きていくことができない。

ものさしは、それしかない。

道を外れてはいけない。

ここでしか生きていけない。

そう思っていました。

見捨てられると生きていけない「恐怖」に支配されていました。

いつから、そうなったのか。

わかりません。

最初からそうだった記憶しかない。

わからないときは、どうしたらいいのか?

やり方は、全く見えないですが、、、

どうやらやるしかなさそう。

わかるようになるしかない。

そんな単純な答えしか浮かびません。

何もできない自分が、経験値を積んで、レベルを上げるにはどうすればいいか?

(1)答えは分かる人に教えてもらう

(2)自分で経験するしかない

一つ、不安要素がある

それは

僕は「わからないです」って素直に言えるだろうか?

仮面を被っていたら、人に聞くことができない


「分かるフリ」はいつかバレる。

相手にも仮面を被っていることがバレる。

でも、わからないのに、わかるフリをするのは終わりにしたい。

仮面を取りたい。

このままでは、レベル100風に見えた、レベル0。

何もできないし、何も知らない自分のまま

人生を終える。

恐怖に支配され、自分と周りの人にウソをつき、罪悪感を抱えて生きることになる。

それがやりたいことなのか?

人に評価される為に生きることを、人生の目的にしていいのか?

そこに

人生の目的にするだけの意味があるのだろうか?


この世界のルールは、仮面を付けないとダメ


例外なく、この世界に生きる全ての人は

「気がついたら」今の自分であり

合図されることなく人生をスタートしている。

生まれた目的もわからない状態で生きている。

そんな話題を出すと、決まって

「考えても意味がないことだ」

と笑われ

「そんなことより、他にやることがあるだろう」

と言われる

本当にそうなのだろうか?

気がついたら、親、友達、仕事関係ほか全ての人からどう見られるか?

「他者からの評価で動くルール」の上で、私たちは生きている。

どこかでみんな「ルール」をわかっているのに

互いに人生のルール(できるフリをしないとみんなに見捨てられる)について

話すことができない。

話せば最期。

弱音、弱点だと思われる。

自分を守る上で、最大の弱点だ。

できないやつは価値がなく、みんなに相手にされない。

見捨てられない為には、「できるフリ」をしなければならない。

ずっとだ。

これが、私たちの人生を支配するこのルール。

このルールがあること、このルールに制限されていることすら、話せないルールになっている。

誰も、本音を言う事ができない。

みんなそれを知っている。

とても窮屈だ。

【この世界のルールとルーティン】


(1)できる自分を演じて、生きなければならない。仮面をかぶる。

(2)仮面の奥ではビクビクしている

(3)仮面をかぶっていることを、互いに言ってはいけないルール(仮面の存在はみんな知っている)

(4)一生続く

私たちが社会、世界と呼ぶものは、一体なんだろうか?


世界を支配するルールはどこからくるものか?

人の集まりを「社会」「世界」と呼ぶとしたら

一人ずつに「完全なフリをしないと見捨てられる」がすり込まれている。

このすり込まれているものが、自分の邪魔をしている。

ポンコツは、誰にも相手にされないし、見捨てられるから

ポンコツじゃない自分を演じなければならない。

できないけど、できるフリをする。

わからないけど、わかったフリをする。

生きている間はずっとだ。

それは苦しい。

これが、僕を含めたみなさんの本音だと思う。

レベル0の僕が決めたこと


いろいろと考えた。

もうたくさん演じた。

できるフリをした。

仮面を被った。

たくさん逃げてきたこともわかった。

僕は

レベル0として生きていくことにする


(1)レベル0であることを、受け入れて生きていく
(何もできない自分を認める)

(2)レベル0だから、経験を積み、レベルをあげていく
(できることを増やす)

(3)できることが増え、レベルがあがったら、また考える

これからは「レベル0」の僕として、生きていく。

不思議なことに「レベル0の自分」を考えると怖くて怖くて

何も手がつかなくなる。

そう思ったが

レベル0の自分があきらかになったとき

妙なスッキリ感があった。

【最後に】

ここまで読んでくださりありがとうございました。

このnoteは「レベル0の人生の歩き方」として

・僕の感じたこと
・直したいこと
・できるようになりたいこと
・できるようになったこと

失敗も全部含めて正直に書いていきます。

※更新頻度は、週一くらいで書こうと思っています。


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