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ワンオクのライブが近頃感じていた歯痒さを教えてくれた。

どうもこんにちは
ろいしんです。

先日ワンオクが代々木体育館でライブをしたそう。

特に熱烈なファンというわけでもないけれど、あの人たちのつくる音楽は天才という言葉では収まりきらないと思う。

彼は人間が生み出す最高のアーティスティックを兼ね備えている。

そのライブの終盤になってスマホでの撮影許可をTakaが出したそう。
さらにはネットにアップする許可までも。
(((実際に行ったわけでは無いので曖昧です笑もし違うかったら教えてくださいね(>_<)

その途端、観客が一斉にスマホを構え始めた。
皆がスマホ越しにTakaを見る。

カメラで撮影できた貴重な体験が出来た!
という声があった。

一方で
場が白けた。
という人もいた。

双方の意見もそれはそれでありだと思う。
まぁその場にいなかった人間がどうこう言う話では無いのかもしれないが、、

ライブとは無論、観客はお金を払って観に来ているわけで、アーティストは観客に全霊を尽くしてこそだ。

ただ観客はアーティストに対しての敬意は絶対に忘れては行けない。

不意にも皆がスマホを構える光景を見て私は日常から感じていた歯痒さに気がついた。

スマホによって人間は良くも悪くも強くなってしまったのではないか。

ということ。

スマートフォンは使い方を誤れば人間が作り出した最終兵器になりかねない。

交通事故の現場や自殺現場など目撃者は挙ってスマホを構える。

SNSにあげることでいいねを貰い拡散されることに快楽を得る人が多過ぎる。
まるで自分がいいことをしたかの様に、

また、私は最近は人と話すこと、会うことに抵抗感を感じ始めた。

なぜだろう、、、

このご時世会わなくたって、話さなくたってネットでは繋がれてしまう。

SNSでのチャットではなんてことない。
でも実際に会って話すとどうしても億劫になってしまう。

しかし実際している事はなんら変わりはない。

ただスマートフォンという厚さ1cmも無い''板''を挟むだけでこんなにも人と人は距離を感じるのか。

音楽だってそう。
スマートフォン越しに感じるのは所詮はvirtualな世界。

ライブは身体全体で空間を共有してこそ。

もしかするとこのワンオクの行動にはなにか伝えたかった事があったのかも知れない…

なんだってスマホで撮ればいいってものではない。
思い出はメモリに保存するものではない。
感動は後から見返すようなものではない。

こうして私は自覚していなかった日常の歯痒さを再確認したのだった。