「暫時は滝に籠るや夏の初」にみる芭蕉の自然観

 表題において掲げた句は、松尾芭蕉『おくのほそ道』の序盤、日光の段に含まれるものである。元禄二年(1689年)の旧暦4月1日、日光山を詣でた芭蕉は、山を更に登り、裏見の滝と呼ばれる滝を見物している。当該箇所は以下の通りである。

 廿余丁山を登って滝有。岩洞の頂より飛流して百尺(はくせき)、千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申伝へ侍る也。
    暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ)

『芭蕉 おくのほそ道 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄』、荻原恭男校注、岩波文庫、1979、pp.15-16

 さて、ここで句中に用いられている夏という語は、禅宗において僧が九十日の間寺院に籠り、修行をして過ごす夏安居のことを指している。この句に関しては、採録されなかった「時鳥うらみの滝のうら表」「うら見せて涼しき滝の心哉」の二句の存在が明らかになっていることもあり(注1) 、禅の思想との関係についてはこれまであまり深く語られて来なかった。しかし、この箇所において滝の裏で芭蕉が感じ取った自然と自己の様態について考え、この句に託された風景を再び現前させようとするとき、芭蕉の思考の中で眼前の風景と二重写しになっていたであろう禅の思想が、実際にどのようなものであったのか、詳細に検討されなくてはならない。
 本論では、この段に用いられている語句に着目しながら、芭蕉とその影響源であった漢詩とに共通するイメージを探り、芭蕉の文章に示された自然観を参照しつつ、それらを重ね合わせていくことによって、この箇所における自然の描かれ方について考察する。
 まず、夏安居あるいは禅の思想について、漢詩の文脈でどのように扱われていたのかという点から検討を始めたい。次に引用するのは晩唐の詩人杜荀鶴の「夏日題悟空上人院」という詩の全文である。

三伏閉門披一衲   三伏、門を閉じて一衲を披(はお)る
兼無松竹蔭房廊   兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
安禪不必須山水   安禅 必ずしも山水を須(もち)いず
滅得心中火自涼   心中を滅し得れば 火も自ら涼し

『新編 中国名詩選(下)』、河合康三訳、岩波文庫、2015、p.213

 この詩の起句にある三伏は一年の最も暑い時期を指し、衲は僧衣のことである。転句にある安禅とは座禅を組むことであり、座禅に打ち込むには必ずしも「山水」を必要としない、心の中のものを消し去れば火すら涼しく感じられるものだ、と禅における内面性を説いている。この詩の下二句は日本においても広く受容された禅の教本である『碧巌録』に引用されており、禅の思想を的確に言い表したものであると言うことが出来る。
 ここで注目したいのが詩中の「山水」という語である。中国の古代文化において、現在「自然」という言葉が充てられている、外界の風景に関する全体を指し示す言葉は存在せず、代わりに用いられていたのが「山水」などの語であった(注2) 。「山水」の意味も時代によって変化するが、加藤敏によれば、唐詩においては主に「賞翫の対象となる自然のたたずまいを意味しており、山水をよすがとして、自分の心が解放され、心中の鬱結が解消される」(注3) ようなものとして用いられていたようである。つまり、この詩においては、禅の修行で自らの心を開放するものは快い山水ではなく自分自身なのだ、ということが言われているのである。もう一つ禅の思想に関する漢詩を引用したい。次に挙げるのは、中唐の詩僧寒山の「詩(吾心似秋月)」の全文である。

吾心似秋月   吾が心は秋月に似たり
碧潭光皎潔   碧潭 清くして皎潔(こうけつ)たり
無物堪比倫   物の比倫するに堪うる無し
敎我如何說   我をして如何に説かしめん

『新編 中国名詩選(下)』、op.cit., p.125

 この詩では、秋の月にも似て、清らかに澄み切った「碧潭」のような私の心を、何に比べて言い表すことが出来ようかと、禅の境地における心の様子が語られている。ここで用いられている「碧潭」という語は、『おくのほそ道』の該当箇所にも登場している(岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり)。ここでは碧色の鮮やかな滝壺を言っているのであるが、漢詩において碧という色はどこか奥深く神聖なイメージと結びついている。たとえば、盛唐の詩人李白に次のような詩がある(「山中問答」)。

問余何意棲碧山   余に問う 何の意か碧山に棲むと
笑而不答心自閑   笑って答えず 心自ら閑なり
桃花流水窅然去   桃花流水 窅然(ようぜん)として去る
別有天地非人間   別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り

『新編 中国名詩選(下)』、op.cit., p.197

 ここでは、どうして人里を離れ「碧山」に住むのかと尋ねられた詩人が、笑うだけでそれに答えず、心はただ安らかに、俗世間とは別の世界に生きていると詠われている。この詩において「碧山」はただ碧色に見えるような山の様子を指しているのではく、俗世間から隔絶した地としての山の幽玄さを表現している。このように、「碧」という色は日常の生活を行う世界から遊離した特異な場所を現前させる記号として考えることが出来る。
 さて、『おくのほそ道』では、「岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり」となっていたのであった。ここに用いられている「飛流」という語は、李白の「望廬山瀑布二首」の「其二」から引用されている。全文は次の通りである。

日照香爐生紫煙   日は香炉を照らして紫煙生ず
遙看瀑布挂前川   遥かに看る 瀑布の長川を挂くるを
飛流直下三千尺   飛流直ぐに下る 三千尺
疑是銀河落九天   疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと

『新編 中国名詩選(下)』、op.cit., p.167

 この詩の題にある廬山は浄土教の聖地として知られる山である。『おくのほそ道』において今我々が問題にしているのは日光の段であるから、前の箇所で「あらたふと」と詠われた日光山と廬山とは必然的に重なることになる。さて、この詩において李白は、遠くに望む廬山の滝を「長川」と「銀河」、つまり下に流れる長い川と高く夜空にかかる天の川のイメージに結び付け、まるで天の川が落ちて来たかのような激しい有り様であると詠っている。こうした詩的な操作により、実際の滝は人知の及ばない神秘の領域と重ね合わされているのである。翻って芭蕉においては、李白のこの詩の情景を踏まえつつ、裏見の滝が「碧潭」に落ちると記すことにより、奥深い神秘の領域をより近くに重ね見ているようである。禅の思想に従えば、こうした特別な世界へと至る方法は純粋に内的なものであり、そこに「山水」のような実際的な要素は必要とされないのであった。それでは、芭蕉においてこうした神秘的なもの、人知の及ばないものはどのように捉えられていたのであろうか。
 俳人の死後にまとめられた紀行文である『笈の小文』の冒頭で、芭蕉は次のように書いている。

 しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時(しいじ)を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

芭蕉講座編集部編『芭蕉講座 第三巻 文学の周辺』、1983、p.161

 風雅の世界に身を置く者は、「造化」に従い、四季の様々な現れをその友とするのであり、かくして見るものは全て花であり、心に描くものは全て月であるというのである。そうでないとき、その感性は「夷狄」すなわち「未開人」や鳥獣に等しいものである。そうした状態を脱し、「造化にしたがひ、造化にかへ」ることが肝要だと説くのであるが、「造化」とは一体どのようなものを指すのであろうか。
 村松友次は、「この従い、帰って行くところは具体的にどこかと言えば、それは結局己自身 天地の心を心とした己自身以外ではない」(注4) と論じている。芭蕉において、対象のものを句の中に描くことは「物に入りてその微の顕れて情感ずる」というプロセスによって成り立っている(『三冊子』)(注5) 。従って、その物に入り込み、自身と対象の物とが一体化することによって、「情」を感じることが可能になるのであり、この一体化の感覚に至ることこそ、「造化にしたがひ、造化にかへ」るということなのである。芭蕉にとって自然とは、あらゆるものがそのものとして在るということを意味していたが (注6)、そうした自然の中で、ある対象と自分自身とが一体化することは、つまるところ「造化」の下での自身の存在を感じ取ることであったと言えるだろう。「造化」そのものは、万物に働きかける高次の原理であるが、その下での諸物と自身の存在を感じ取るのは自分自身であり、そのことがむしろ重要なのである。
 以上において、「裏見の滝」の描写に関連している禅の思想、神秘的領域の表象、対象と自身とが一体化するという在り方について主に漢詩を参照して検討した。夏安居において座禅に専念することは、自分の心を開放する要素を外側に求めるのではなく自分の内部に探ることで、何にも比べることの出来ないような精神的境地に達し得る行為であった。そうした深遠な領域を暗示しつつ、李白の詩における滝のイメージを援用することで、芭蕉は高次の神秘的な領域と眼前の対象とに二重化された風景を提示した。しかしその高次の世界は、芭蕉にとって自身が「したがひ」、「かへる」べき「造化」に他ならず、重要なのはそうした態度自体であった。
 高次の世界に、あくまで自身の態度によって接近するという方法は、禅の思想が立脚するそれに類似している。しかし、後者が「山水」のような諸対象を消滅させる方向性を持っているのに対し、前者はそれらと混じり合い、関わり合おうとする。従って、禅の思想と芭蕉の態度とは、実態は大きく異なるが器は似ているような関係性にあるのであり、それゆえに滝の裏で「暫時」の間重なり合うように感じられたのであろう。

(注1)宇和川匠助「「おくのほそ道」に採択されなかった旅中吟についての覚え書--芭蕉の制作意識にふれて」『高知大学学術研究報告』、1959、17巻、8号、p.3
(注2)高春玲「『おくのほそ道』における漢詩の考察 ――平泉の章――」『言語と文明』、2013、11巻、p.82
(注3)加藤敏「山水・山川・山河」『詩語のイメージ:唐詩を読むために』、後藤秋正・松本肇編、東方書店、2000、p.90
(注4)芭蕉講座編集部編『芭蕉講座 第三巻 文学の周辺』、1983、p.161
(注5) Id., p.160
(注6) Id., pp.159-161

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