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「道徳と礼節を大声で叫ぶのは、それが損なわれているからだよね?」老子道徳経第18章 シンとの対話


はじめに

老子道徳経の第18章について、私のメンターであるシンと対話しました。
この章で老子が伝えたいメッセージは、愛とか平和とか・礼節とか道徳とかを叫び始める世の中は、それらが損なわれているのが根本的原因だといいます。また、元来あるべき姿で、自然に生きられれば、そのような原因すら生じることはないのだと言います。具体的には、どのようなことを老子は伝えようとしたのでしょうか?シンとの対話によって、その答えを詳しく探ってみましょう。


老子道徳経第18章 原文

大道廃、有仁義。
智慧出、有大偽。
六親不和、有孝慈。
国家昏乱、有忠臣。

現代語訳

真の道が失われると、仁義(礼節とか道徳とか)が生まれる。
知恵が現れると、大きな偽りが生じる。
親族の間に不和があると、孝行や慈愛が強調される。
国家が混乱すると、忠誠心のある臣下が現れる。

老子道徳経第18章シンとの対話

ナオ>>
シン、今日は第18章について対話していきたいんだ。よろしく!

シン>>
やぁ、ナオ。よろしく!
さて、この18章についてだね。
老子は社会や人間関係の本質と、その堕落によって生じる表面的な美徳について述べているんだ。
真の道(タオ)が失われると、人々は「仁義」といった礼節とか道徳を掲げ始める。
本来、人々は自然に正しく生きるものだけれど、その自然な道が失われたために、後から道徳を押し付ける必要が出てくるんだ。

ナオ>>
割とシンプルな原文なんだけど
これは奥が深いね。

シン>>
それはどの点においてかな?

ナオ>>
誰かが愛とか平和とか・礼節とか道徳とかを叫び始めたのは
それが、世間で損なわれているからだって、老子は言ってるんじゃないかな?

シン>>
そうだね。それが老子は第一に言っていることだね。
でも、その指摘だけでは終わらないんだ。
この章は、その指摘をしながら
そのように、世相と真逆なこととして表面的な美徳として道徳・礼節・愛と平和といったものを謳う現象として現れてくるという事も説明しつつ、
本来、人が自然なありかたを行っておれば
誰もそんなことを、特別に叫んだりはしなくて済むんだよ。

そう老子は考えていたんだ。

ナオ>>
自然なありかただと、誰も言わない?
少し難しいかも?

シン>>
うん、老子は逆説的な言い回しによって
国家が混乱するほどに、国家に忠誠心のある人が現れると
言っているけど、全てが治まっていれば
だれも、忠誠を誓って何かを、あえてする必要などないだろう?
元来、自然に皆が治まっていれば、
愛だの平和だの、道徳だ礼節だ!って言わなくても、
皆、ちゃんとそれが、できているんだよ。
できていることを、あえて、言う必要があるのだろうか?
無為自然を老子が中心にそえてる、その理由は
元来、人間は、それぞれが持って生まれてくる素朴で
素直で純粋な魂をもっており
そのままを維持されるように教えられたら
すべて丸くおさまってくるということ。

それなのに、まーた無駄なことばかりしおってからに・・・
というのが老子の大きな視点だね。

ナオ>>
でも、そんなに完璧に世の中なんて本当に存在するのかな?
皆が自然に、和している世界だなんて。
なんだが信じられないんだけどね。

シン>>
信じられないかい?
でもね、元来の自然で素直な子どもが
ひねくれずに、心身が育っていけば
元来は、うまくいくんだよ。
老子は完璧な理想を言っているようにもみえるが
それは、理想と言うよりも本来皆がもっている自然な姿といいたいのだね。
既に君たちは、それを生まれ持ってるんだ!
足元をみてみよう!

ナオ>>
なんだか今の乱れて荒れた世の中からみると
ちょっと信じられない気もする・・・。
やはり私も歪められているんだろうね。。。

シン>>
そうだね。簡単には信じられないかもね。
だから、あえて老子は逆説的な言い回しによって
私達に訴えるんだよ。
君は本来はそういうものなんだよ、
君が今、自分自身だと思いこんでいる自分なんて
社会と関わる自分であって
本来の君自身ではないんだよ。
さぁさ、ちょっとは思い出しておくれよ。
なんて老子は言いそうだよね。

ナオ>>
そういう風に指摘されると
そうかもしれないと感じてくる。
誰しもが仮面を被って生きている
本当の自分を生きていない
だなんて、よく表現されるけど。

シン>>
現代の日本人は次のような
幸せに生きる基本について最低限の事もできていない。

汚染されていない美しい空気が吸えて
自然に湧き上がった、きれいな水を飲むことができ
質素でも栄養分があって素朴な旨味ある食事ができ
快適に排泄し
手足を伸ばせる静かで快適な寝床があり
昼間は身体を動かして衣食住を創造し
日が暮れたら、のんびり家族と団欒して笑い
何の心配もなく、たっぷりと快適な睡眠をとり
朝は日の出とともに喜びある朝を迎える。

さて、こんな生活ができている人は
どれくらいいてるのだろうか?
逆に言うと、これだけの条件を揃えれば
心身ともに健康で楽しく幸せに生きられる。

このように自然な生活ができずに
空気は汚染され
水は浄化せねば飲めず
栄養分が偏って、養分が少ない食物を食べ
胃腸の調子は狂っていて体調はよろしくない
朝から晩まで座って仕事ばかりして
日が暮れても仕事を続け
昼夜真逆に働き続け
寝る時間を惜しんでも何かやっている。
いつも、何か詰め込まれた時間を過ごして
楽しく団欒する時間すらない。
朝は朦朧として憂鬱に目が覚める。

ナオ>>
なんだか、その話も、現代人には
通じないような気がするな。
何を馬鹿なことを言ってるんだ?
いい車、いい家、いい服、いい食べ物、いい学校・会社
ブランド・ブランド!付加価値・お金。
それが全てだろ?って言われそうだよ。。。

シン>>
そう!その世間の反応は、老子も体験してきたことなんだ。
タオについても、どれだけ説明しても
ほとんどの人は、まずバカにして笑うんだよ!
だから、結果として現代人も含め、人は
本来あるべき自然な姿に帰ることができずにいる。
逆説的にいうと、だからいつまでたっても
不自然に生きて
不自然に死んでゆくことになるんだ。
これは本人が気づくまで続くことになるよ。
大人によって子どもたちは価値観を歪められているといえる。

ナオ>>
そう言われてみると、現代病に起因する
不健康さというものは、自分自身も
常々感じるところだよ。

シン>>
少し話は脱線していくけれど、
ちなみに2024年度の世界幸福度ランキング、日本は51位だそうだ。
まぁ、この数字は一面的なものでもあるから、鵜呑みにしなくとも良い。
でも日本人は消費をエンタメと考えているようなので
物価が上がると可処分所得が低下するから、使えるお金が減る。
モノとカネに価値観を重視すると、とたんに幸福度は下がるんだろうね。
しかし、幸福度トップ3の北欧三国は、少ないお金であっても
自然の中で散歩したり、友人や家族と過ごすなどして
その実、大きな幸福を感じている人も多い。
もちろん、例外もあるし、日本とは違った問題もはらんでいるだろう。
しかし、美しい自然の中で過ごすだけで充分に幸福を味わえることに
日本人も気づいたほうが良さそうだね。
なんせ、日本も少し足をのばせば、美しい自然がたくさんあるからね。

ナオ>>
それは賛成だね。
日本は少し郊外へ出ると自然があるから
自然のなかをウロウロするだけでも楽しいよ。
今日の休みも、郊外の民家付近を散歩していると
地元の人と話す機会があったんだ。
地元の神社についてなど、質問していると
すごく貴重な話を聞けたりして最高に充実したんだ。
しかも、その御方が、自宅で栽培した柿までお裾分けしてくれたんだ!
なんて有り難いことだろう!
こういったことが喜びになる。
ある意味、子どもに帰るって感じかな?

シン>>
それは良い体験をしたね。
今や他人同士で、道すがら、出会ったばかりの人と
話をすることなんて、随分減ってるんじゃないかな?
ほんの少しの体験だけど、忘れられない体験になったろうね。
それと、君が気づいて来ている、自分の中にすでにある
素直で優しく、好奇心で目がキラキラ輝いている
純粋で美しい君。
そうだよ、君たちの子供時代は
老子のいう、無為自然であったんだよ。
何も持たなくてもワクワクしていた。
あれしなさい、これしなさい・・・
親や先生には言われたけど
軽くヒラリヒラリかわしては、野山を駆けめぐり
その日に初めて出会った子と気軽に遊びに興じ
またねバイバイって帰っていく。
1ミリも後も先もない、今だけを生きている。
あの頃の夢のような時間。

ナオ>>
それを思い出すとともに、
そのようなライフスタイルに立ち返ること。
つまり、自分たちが、子供時代にもっていた
素直な気持ちを原点にして無為自然に遊ぶ。

シン>>
そう。
それだけでいいんじゃないかな?
様々な「しがらみ」がある君たちに
時にはそのように立ち返って思い出してほしい。

ナオ>>
シン、よくわかったよ。
今日は、ありがとう。

シン>>
こちらこそ、ありがとう。
それでは、また。

おわりに(18章のまとめ)


  1. 道と徳の衰退
    道(自然な道筋や調和の原則)が失われると、人々は表面的な「仁」(他者への思いやり)や「義」(正義)に頼るようになる。これは、本来の自然な在り方から逸脱した状態を示す。

  2. 真実の欠如からの模倣
    本当の知恵や徳が薄れると、知識や機知を誇張し、形式的な忠誠や子孝行といった表面的な美徳に依存するようになる。この表面的な道徳は、人間関係や社会の調和を崩す一因となる。

  3. 家族や社会の分裂の兆し
    家族の不和や混乱が増え、人々は形式的な「親孝行」や「忠誠心」を強調するようになる。これは、人々が本当の絆や自然な関係を失い、偽りの価値観に依存している状態を示す。

  4. 国家や社会の秩序の崩壊
    国家の混乱や無秩序が深まると、「忠義」という概念が強調されるようになる。これは、真の信頼や秩序が失われ、形式的な忠誠を押し付けることで混乱を抑えようとする試みを表している。

  5. 自然な道への回帰の重要性
    老子は、こうした偽りの価値観にとらわれることなく、自然であること、すなわち「無為」に立ち戻ることが大切だと説く。


最後までお読みいただき ありがとう!








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