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あちらに行く前に

夫の両親と、私の両親とも健在。一人っ子の息子にとっては30近くなり、4人の祖父母がそろった状態。
私の周りでも珍しい。
おばあちゃんはいるけれどおじいちゃんはすでにいない孫の話はよく聞きます。

私の場合、私が生まれる前に母の両親は亡くなっていた。
研修医になって2年目に亡くなった父方のおじいちゃん。長生きの家系にしては早いと惜しまれました。この時のことはこちら


息子が5歳の時に亡くなった、父方のおばあちゃん。おばあちゃんの場合は自宅で過ごしていたので、息子や甥姪にとっても身近な死でした。
孫たちもシュンとして静かに枕元を訪ねたように覚えています。
幼いながらおばあちゃんの思い出をお話していたのが印象的。

さて、現在の感染対策で、病院や施設にいる方はリモート面会で最期を看取ることもあるとか。

子供や親族はリモートで最期を看取るのは理解できるかもしれませんが、あちらに行く方はリモートという触感のない空間で息を引き取るのは、未練が残りそう。

枕元で話しかけたり、手を握ったりするのは親孝行のためだけではありません。
意識がないから、認知症だからといって、会っても会わなくても同じではありません。同じ部屋にいると呼吸が同期してきます。
自分の中の未完了にしないために、場を共有する必要があります。

それができない、私たちはとんでもない近未来に来てしまった。

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