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きたないは心の中にある

人類学者の磯野真穂さんのセミナーに参加しています。メアリダグラスの『穢れと禁忌』を講義を受けながら読み解くスタイルです。

きたないけがれは違うという話題で思い出した病院勤務時代の話です。

日曜日の当直に行きました。
この病院では日曜日は朝8時半から月曜日の朝8時半までの日直当直があります(そして通常業務の月曜日が続くのですが)
土曜日当直したA先生が眠たそうに申し送りをしてくれます。
「昨日は徹夜だったから、当直室使っていないよ、だからそのままベッドメイキングしないで寝られますよ」
ラッキー!、土日は当直医自身がでベッドメイキングするのですが、これが苦手でピシッとできないのです。
でも、実際に寝てみようと思うと、もしかして布団は使っていないかもしれないけれど、ベッドの上に物(白衣やカバン)は置いたかも。ベッドに腰掛けたかもしれない…
と考え、シーツを交換しました。

外見上、ベッドは汚くないです(もちろん衛生面でも)
金曜日にお掃除の方が綺麗にベッドメイキングしてくれてそのままですから。
むしろ私がしたシーツ交換は角はピシッと折り込まれていないし,布団もふわーとかけているだけでグジャグジャ。
それでも、シーツを交換したいと思うのはよごれているわけでもなく、区切りをつけたいだけ。
前の当直医のナニカがのこっているのが気になったんですね。
当直室は毎日誰かが使います。でも今日は私の部屋であるとの結界をはる儀式がシーツ交換なのだと思いました。

現在コロナ感染対策でも、【○○は汚い】【○○しなければ清潔ではない】ルールが実は感染対策として科学的ではなくて、心の問題のことあります。
寒い朝、一人暮らしの方が窓を大きく開けて換気が大切と凍えている。
夜誰かが、一人の部屋にウィルスをまき散らしに来たのですか?
それ意味ないでしょ。と話すのですが、朝の冷たい空気が清いと思わせるのですね。

汚、穢どちらも、きたない、けがれと読みます。
きたないは心の中にあるという話でした。





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