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私の転職経験 涙の時代3

学会の帰りに香港へ飛ぶ

さて、辺境で落ち込んでいた私は一層東京での生活をエンジョイするようになっていました。
毎週、東京便の飛行機の中で気持ちを切り替えて、弾むような気分で羽田空港に降り立ちます。実父が空港まで迎えに来てくれていて、毎回のように「そんなに走ってこなくても大丈夫」と言われるくらい、勢いよく空港に降り立っていたのでした。

週の中頃、東京に行き、また週末に東京へというように、どちらか本当の住まいかわからない状態。
一方夫は仕事が一層忙しくなり、いないことを責められるというより、話す機会が少なくなっていきました。
大きな声で言い争いをしていたら、隣家のお嬢さん(4,5歳)が入ってきて、「オバチャン、もうケンカ終わった?」と聞かれ、「うるさいっ」と言い返したことを覚えています。

日本リハビリテーション医学会では、6月に学会があります。千葉で開催された学会参加のその帰りに、成田から友人と香港へ2泊3日の旅行に行きました。なんでそんなことをしたのか、自分でもよっぽど辺境から逃げたかったのか、何かしなければの何かを探していたのか…

香港では、中国返還直前でしたが、緊迫したムードはなく、楽観的で自由な雰囲気に満ちてました。
当時はスマホはありませんでしたので、写真が残っています。
観光ツアーで行ったスタンレーマーケットとレパルスベイ。
笑顔で公園の噴水前で笑っている、彼女と私。
辺境での生活はかけ離れた写真の中にいる自分。
このレパルスベイの写真はその後も長く家に持って帰れず、大学の自分の引き出しに入れていました。こんな笑顔、家族に見せていなかったので写真を見せるのができなかったんです。
見るたびにあまりに笑顔の自分が憎たらしく感じていました。
可哀そうな自分に浸っていたんですね。

そんな私に転機が来たのは、辺境での地方会でした。続く(次はもうちょっと明るく書きます。)

仕事を変えるか家庭を変えるか選択した時の思い出を書いています。

一回目、2回目はこちら



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