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命が尽きる前の時間は周りの人のためにある

命が尽きる前、その短い時間は見送る人のためにある

人がなくなるときの家族の対応についてです。
普段面倒見ない家族にかぎって、検査、治療を望みます。
一緒に居た家族の意見はなかなか通りません。
その様子にとても、憤りを感じていましたが、先達からの言葉に納得しましたのでお伝えします。

残された家族の満足感が大切

長期入院ができる病院に勤務していましたので、命が終わるときを多く経験しました。
例えば、亡くなって自宅に連絡すると、一緒に住んでいた、または面倒見ていた家族は葬儀、自宅の片づけ、退院の準備などいろいろ考えて行動します。なので、病院への到着は遅くなりがち。
生前に尽くしてきたので、気持ちとしては急ぐこともないし、死を受けとめています。
ところが、その家族から連絡を受けたちょっと離れた親族は、取るものもとりあえず来院して、そちらの方が早い。
久しぶりに患者さんにあった親族は動転してどうして治療しなかったんですか、こんなに急に…と大声を出すこともありました。
それくらい、面倒見ていた家族とちょっと離れた所にいる親族は気持ちが違うのです。

高齢者が少しづつ弱ってきたとき

さて、これは亡くなるときばかりではありません。
だんだんに元気がなくなっていく高齢者に対しても同様です。
一緒に過ごした時間が長い家族、あるいはヘルパーさんは本人の希望を知っています。なんとなく具合が悪いのは本人もわかっているけれど、父母をみとり、妻(夫)も見送った高齢者は自分の命に対してのさとりもあるのです。
言葉には出さなくてもそれを感じ取る家族。
穏やかに時間が流れます。
ところがそこに、遠方から息子娘が会いに来ると「検査!」「入院!」「どこか病気があるんだ!」と医療機関への受診を勧めます。
今までの成り行きを知っている家族よりも正義感とスピードをもって進めるのであっという間に本人の希望はかなえられなくなるのです。
これを理不尽だと思いますか?

理不尽だと怒っていた私に先達の言葉

不満があっても、黙っていなさい。
一緒に住んでいた家族は違うと思っても争わない方が良い。
遠くから見ていた人はなんでもいえる。でも、死が近い高齢者を自分がしっかり面倒を見たんだという思い出は誰にでも必要なんだ。たとえ普段は面倒見ていなくてもね。
そこで反対すると、亡くなってからの関係が悪くなるから、それはお父さん(お母さん)はわかっていることだから。

亡くなり行く人は家族に対してだけでなく、その周囲の人へも良い思い出をつくる役割があるんです。
本人の体にとってはつらいかもしれませんが、遠くにいた身内も自分のことを思ってくれていたと、心が離れていたわけではなかったと実感できる。
そして、離れていた家族も親の人生の終末に自分が価値があったと納得できる時間なのですね。


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