『食べる』はコミュニケーション
『食べる』はコミュニケーションです。
忙しい時こそ一緒に食べましょう。
重症心身障害児の病棟がある病院に勤めていました。
家族の方と長く離れて、入院生活を過ごす子どもたち、年齢も20歳代から60歳代まで。
ご両親が慈しんで育てられてきたところをさまざまな事情でこの施設というか病院を希望して入院された方達です。
お話することも、自ら歩くこともできない子供たちに、家族は食べさせたいんです。
食事時間に合わせて来院して、お食事を手伝ったり、おやつを持ってきたりしてくれます。
また、院外へのリクリエーション、院内行事のお祭りなども食べることが中心です。言葉を交わさなくても一緒に食べる場所にいると
「○○ちゃん、お口開けて、ごっくん」
「このお菓子きれいな色だね」
食べやすいように一口大に小さくしたり、飲み込むのを待つ間もコミュニケーションなのです。
さて、感染対策により、この食べるコミュニケーションは途絶えてしまいました。食べさせられるのは職員だけ。食事の場面を見ることもかなわない両親。
悲しい気持ちを抑えているのでしょう。
ガラス戸越しに子供たちの顔を見に来てくれます。
子供たちもつらいと思います。言葉は話せなくても両親と身近に過ごして触れ合う時間が奪われているのですから。
私が食べることがコミュニケーションと思った一つの理由は母の介護にあります。
退院後食事や排せつが全介助になり、寝たきりになった母ですが、介助で食事ができます。
家族だけでおむつ交換するのはなかなか難しくても、水分摂取と称して水を飲ませたり、プリンを食べさせたりすることは母も嬉しそうだし、私たち家族もしやすいです。
なので、孫や夫は常に水を飲ませたり、何か食べさせたりしています。
それはきっと以前母が良くおしゃべりをしていた時の会話の代わり。
介助して食べる時には必ず言葉が必要です。
お水飲む?もう一口いかが?
要らないと首を振ってもしばらくすると同じ会話を繰り返して一日を無時終えるのです。
さて、私も母の介護のため、自宅にいる時間が少ないです。
でも、夫と二人で食事する時間を大切にしています。
夫も夕食を私が飛行機に乗る時間に合わせて、早めたり。
いつもはテイクアウトのレストランに私一人で行くのですが、一緒に行って荷物を持ってくれることも。
同じものを同じタイミングで食べる、特に向かい合いながら食べると、話すことは少なくても通い合うものがあります。
会食が戻ってきました。
母の介護を通して一緒に食べることの大切さを身に染みています。
どうぞ皆様もだれかと一緒に食べることを大切にしてください。
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