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母のおもしろエピソード

最近暗い話が続いていたので、今日は過去にトリップ。
母の思い出話書かせてください。母は昭和一桁生まれの小児科医です。
持ち前の美貌と才覚で昭和戦前、戦中、戦後そして平成、令和を生き抜いてきました。

エピソード1 こういう人と働きたい

私は山形で夫と開業してのを二年間で離脱、リハビリテーション科医師として地元の病院に勤め始めました。
そのころ、山形に遊びに来てくれた母と一緒に街に行ったときに、病院の若い理学療法士さんにすれ違いました。
母は「働くんだったらああいう人と働きたいわよね」と一言。
背の高いカッコマンだった彼も今は立派なリーダーとして活躍中。先見の明があったのか、それとも面食い?

エピソード2 海外旅行行きたい💕

高校三年生受験生の時
夏休み前、母が真剣な顔で私に、
「志保ちゃんは成績良いから心配ないわね、夏休みはパパとヨーロッパに旅行したいの、良いかしら」
思えばあの時両親は50歳後半遊びたい時期だったのね。
勉強しなさいと言われると思っていた私は気持ちが緩んで、もちろん大丈夫と答えました。
私は3人兄弟ですが、母は子供に勉強しろとうるさく言わないタイプでした。でも、大学受験の時はその子と一緒に過ごす時間をつくっていたのです。
母の期待に反して夏休みぼんやり過ごした私はその後苦労するのですが…

エピソード3 嵐の中の墓参り

私が大学生の時、9月のお彼岸あたり、ものすごく天気が荒れていました。
「お墓参りに行く」と激しい雨の中、出かける母。
父はさすがママはえらい!と感心しています。
その後東海道線が止まって心配していたら、夕方帰ってきました。
いたずらっ子のような表情で、「私どこに行ったと思う?」と。
えっ!お墓参りではないの?と思っていたら、
父が即答「帝国劇場!」
母もあっさり、面白かったわ~
あうんの呼吸に子供たち一同目が点になりました。
まだ携帯電話、スマホがない時代です。

エピソード4 誰でも仲良し

ある重鎮の先生と知り合って、奥様とも、二号さんとも仲良くしていた時もありました。人類皆兄弟(笑)二号さんが母のことを「人間として付き合ってくれるから好き」みたいなこと言っていました。懐深すぎ~

エピソード5 JRも勝てません

母が一人で、山形に来た時。
山形新幹線のグリーン車の前で待っていました。
だれも降りてきません。
横を見ると指定席の車両から母が元気よく降りてきました。
今回はグリーンにしなかったの?
あら~グリーン車だと思って、乗ってそのまま寝ちゃったからわからなかったわ。と答える母。
銀座での食事会の後、ギリギリで飛び乗ったそうです。
私たち夫婦は顔を見合わせて???
ぐっすり寝ている母に車掌さんもチケット確認しなかったのでしょう。
座席はあっていたようです。

今日はこれくらい、名言、迷言、楽しい思い出はたくさんあります。
ちょっと心が癒された。




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