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自立援助ホームとして始めた理由

最初の写真は、みんなのフォトギャラリーより峰里えりさんの写真を使わせていただきました。ありがとうございます。

こんにちは。
Let's be tomorrowです。
一昨日は七夕でしたが、皆さんは何をお願いしたのでしょうか。
私は…宝くじが高額当選しますようにとお願いしました。
(ただし、まだサマージャンボも買っていませんが)

前回なぜうちの法人があすなろ荘を作ろうと思ったかを書きました。
今回はなぜ自立援助ホームにしたかについて書いていこうかと思います。

子供の家の卒園生の再スタートの場と考えたときに、まず考えたのが自立支援型のグループホームでした。児童養護施設の本園とは別の建物を建てそこで社会に出るための練習をするというホームでした。
しかし、児童養護施設は18歳までしかいられないこと、18歳を過ぎた後の再スタートの場として、受け入れることが制度的に難しい。
では、制度外で寮を立てるということも考えたようですが、そうするといつもそばで話を聞くスタッフの人件費など運営費がでない。

そんなこんなで色々と議論をしているなか、1984(昭和59)年に東京都が自立援助ホーム制度実施要綱として、制度的に位置づけられました。
それまで都内では新宿寮・清周寮、経堂・三宿・祖師谷の憩いの家などが活動していたものがきちんと評価されたのです。
自立援助ホームが制度的に位置づけられたことにより、これまで先駆的に行ってきたホームを見学したり、話を聞いたりして、就労自立を支援することを目的にするのであれば、自立援助ホームが一番いいだろうという結論になりました。
その後、あすなろ荘が開設して1988(昭和63)年には当時の厚生省が児童自立相談援助事業として局長通知を通達したことによって、国の制度としても認められるようになりました。

といっても財政的には大赤字。東京都が制度化したときの補助金は子ども一人当たり5万円というものでした。厚生省が通達した時の国庫補助基準額は定員10名未満で年額253万円、10名以上で年額362万円でした。

制度的なものもそうですが、もう一つ大きな理由として、子どもたちは他の児童養護施設とかかわるということがあまりない中で、都内各地の児童養護施設の子どもたちを受け入れることで、子どもたちの世界が広がること、色々な経験をした人たちが集まるということが、子どもたちにとってもいいのではないかということもあったようです。
今でいうピアカウンセリングが自然とできるようにということでしょうか。

とにかく、あすなろ荘は1988(昭和63)年3月28日に職員2名で開所をすることとなりました。

場所は子供の家に隣接する雑木林を整地し、当時の理事長が図面を引いたものを、当時建築費用の補助などなかったので、すべて法人の持ち出しで建てました。
この建物は現在も使っていますが、まさに自立援助ホームをするにはとてもやりやすい空間づくりとなっています。

次回は建物についてお話をしたいと思います

自立援助ホームあすなろ荘のホームページはこちら
http://www.asunaro-sou.com/


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