イザヤ43章からよく抜粋される3つの聖句について

4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

10 あなたがたはわたしの証人、―主の御告げ―わたしが選んだわたしのしもべである。

25 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。

(イザヤ43:4、10、25)

上記は、神がヤコブに語られたことば。あなたが、ヤコブなら自分のことだと思っていいと思います。

ヤコブとは、聖句25を見ると肉的イスラエルではなく、霊的イスラエルのことだと思われます。イザヤの時代にはまだ、イスラエルの民の罪のための動物の犠牲が神に捧げられていたからです。

主イエスの十字架での功績により、信じる者に神は御霊を与え、神は、彼らを現実に罪から解放しました。その彼らを指すと思われます。彼らは、ヨハネ、ペテロ、パウロたちのように、イエスと結びついており、決して罪に定められることはなく、命をもたらす霊の法則が罪と死との法則から彼らを解放しました。この人たちが、ヤコブです。

これが、真理です。罪を犯してはならない。これが、神のみこころです。「罪を犯し続ける者たちの頭上には、神の怒りがとどまっている。」のです。これが、真実です。この人たちはヤコブではありません。

このことを証ししなければなりません。

罪から解放された人は霊的に神の愛によって喜びが与えられており、罪の意識などありません。

これが、ヤコブです。十字架を通って来たからです。

「あなたがたの内に神の霊が宿っている限り、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいる。」

この体験者が証ししています。

「罪を犯す者は、御国に入ることはありません。水と霊によって新しく生まれなければ入れない。」

これを、証ししなければならないのです。

「重要なのは、新しく創造されることです。」

これを証ししなければなりません。

たとえを語りましょう。あなたが、怒りやすい人だと仮定します。家族や自分より弱い者と判断したときだけ、その怒りを相手にぶつけるのではありませんか?

まさか、筋肉もりもりのチンピラにも食ってかかる人はいないでしょう。たとえ、その人に足を踏まれてもです。「謝らないのか!」などと言えないでしょう。それが正常です。そうでしょう。

人が大勢見ている前で、性的な破廉恥をわざわざする人もいません。つまり、あなたに、まともな理性が働くのなら、罪を遠ざけることが、出来るのです。

あなたが、自分一人しかいないと思っていても、実際にはそれは、あり得ません。あなたに、信仰がないのです。目には見えませんが、実際には大勢の御使いたちが見ているのです。

ですから、人間の自由意志にプラスして上記の正しい認識を持つことによって、あなたは、罪から離れることが出来るのです。人は、誰でも、誰も見ていないことを確認してから、悪を行うからです。

この意味をあなたが、今回、悟り、神を畏れ悪から遠ざかるなら合格です。御霊も与えられるでしょう。

ですから、イザヤ43の25節は、罪を犯さなくなったヤコブにあてはまるのです。

アーメン


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