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旅慣れているのになぜツアーで旅行に?とよく聞かれるが

わたしは一般的な人よりも旅慣れているほうだと思う。旅行した国は15ヶ国に及ぶし、そのうちのほとんどがひとり旅行だ。

わたしは世界遺産が好きなので、海外旅行に行くとき、大抵の場合は旅行の目的は世界遺産巡りになる。

こないだもトルコの世界遺産を巡りに、HISのツアーに参加した。ツアー参加者はわたしのように何ヶ国も旅してきた人もいれば、今回の海外旅行が2回目、というような人もいた。

旅慣れている(と思われやすい)わたしがツアーに参加するときによく言われるのが、「旅慣れてる人もツアーに参加したりするんですね」という言葉だ。
旅慣れている人は、すべて自分で旅の段取りを手配できるので、割高なツアーに参加するメリットがないのでは?ということらしい。

旅のスタイルは様々だが、わたしのように「世界遺産巡りが好き」かつ「会社員なので最大1週間程度しか休みが取れない」という人は、ツアーに参加するほうが現実的だと思う。

というのも、世界遺産は必ずしもアクセスが便利な場所にあるとは限らない…というか、むしろ、ほとんどがアクセスの悪い場所にある。
ここでいうアクセスの悪いとは、「そもそもそこに行く公共交通機関が存在しない」というような状態だ。

世界遺産のメテオラ(ギリシャ)
崖すぎるよ
世界遺産の姫路城(兵庫県)
姫路駅から絶対に迷わずに行ける抜群のアクセス

世界遺産ともなれば観光客を呼ぶためにアクセス方法も整備されるものなのでは?と思われているようなら、それは大きな間違いだ。日本とて、例えば、2021年に世界遺産登録された北海道・北東北の縄文遺跡群の遺跡は基本的にアクセスが悪い。世界遺産登録された年には臨時バスの運行もあったようだが、2024年現在はバスもない、ツアーなども特にない。レンタカーがないとどうにもならないところにある。

世界遺産にも色々あり、姫路城、厳島神社、京都や奈良の古都などアクセスしやすい世界遺産もあれば、1週間に1便しか船がない上に24時間船に乗る必要がある小笠原諸島のような世界遺産もある。

世界遺産のうち、少なくない数の遺産は宗教的な意味のある遺産だ。
わたしがとても興味深いと思っているのが、まったく別の宗教や文化圏であっても、神聖な宗教施設は高い山にあるケースが多いことだ。
人類は普遍的に、神は天上にいると考える。そして天上に近い場所、すなわち高い山に祈りのための施設を建てた。
例えば、古代ギリシャの神話にはオリュンポス十二神がおわせられるが、神々の住処であるオリンポス山は実在する。ギリシャ最高の山だ。オリンポス山には神々の神殿がある。
高い山というのは神の世界に近いと同時に、世俗的な地上世界から遠ざかるものでもある。そう簡単に人間たちにアクセスされてたまるか、というのが神々の領域であるので、神聖なる山はもちろんアクセスは悪い。

何ヶ月、もしくは何年もかけてバックパッカーとして世界を巡る人ならばいざ知らず、たかだか1週間である国の世界遺産をいくつか巡ろうとするなら、基本的には世界遺産巡りがパッケージングされたツアーに参加するのが現実的なのだ。
ツアーでは、各世界遺産をチャーターバスなどで巡ることになる。用意されたバスに乗れば世界遺産で連れて行ってもらえるのだから、大変便利だと思う。

わたしがツアーを使わずに完全にフリーで海外旅行に行くときは、「世界遺産巡りを目当てにしていない」かつ「ひとつ、もしくはふたつの都市しか巡らない」ときだ。わたしが外国人観光客だとして、日本の東京と京都だけ行きたいときはツアーには参加しないだろう。都市部は公共交通機関が発達しているので、観光地に自力でいける。

わたしがツアーを使わずにひとりで旅行したのは、

シンガポール(メトロが発達している。世界遺産なし)
タイ(トラムが発達している。世界遺産目当てではなかった)
台湾(トラムが発達している。世界遺産目当てではなかった)

などだ。いずれも発展した都市に旅行に行ったケースだ。

ツアー旅行はコスパが悪いと言う人もいるが、それは旅の何を自分が重視するのかによっていくらでも変わるものだ。

ひとりでは行けない場所、行けるか行けないか現地に行ってみないとわからない場所、行こうと思えば行けるかもしれないがとても大変な場所に、チャーターバスでサクッと連れて行ってくれるツアーは、そこに行きたい人にとっては価値が高いだろう。

わたしはツアーで世界遺産へのアクセスの利便性を買っているが、ツアーで安全性を買っている人も多いと思う。むしろこの感覚のほうがメジャーだろう。ひとりでフラフラしている旅行客よりも、旅のプロである日本人添乗員と、現地のガイドに付き添われる団体旅行客は、現地の犯罪人からしても狙いにくいだろう。現地のガイドがついていてくれると、外国人だから相場がわからないだろうとぼったくられることもほとんどない。

以前、YouTubeで、おしごとさんぽという企画で、「古代ギリシャのアルゴナウタイ(ギリシャの英雄が、アルゴノーツ船で、コルキス(現在のジョージア)まで金の羊毛を求めて旅をする伝説)の航路をもしHISのツアーで実現したら」という動画を見た。
めちゃくちゃ大変な旅路だった。
それこそ、「そもそもそこへ行く交通手段がない」の連発であった。旅行会社が乗り物をチャーターしないと絶対に無理な旅路だ。

関東平野に住んでいると、陸さえ繋がっていれば自分で行けるのではないか、というような傲慢な感覚が生まれるが、旅行においてはまったくの間違いだ。平野って地球上にそんなにない。陸が繋がっていても道がなければ人間は移動できない。道があっても乗り物がなければやはり人間は移動できない。

旅行会社の力を持ってすれば、現代ではひとりで達成するのは絶対に不可能なアルゴナウタイですらも(とてもハードな旅程でよければ)達成することができる。この大いなる力にわたしはツアー料金を払っている。わたしひとりでは絶対に行けないところに連れて行ってくれるのがツアーなのだ。

おしごとさんぽの動画の中で、HISのえらい人こと田島さんがおっしゃっているように、そこに行きたい人が集まれば集まるほど、お金を出し合って乗り物をチャーターし、行きたいところに行けるようになるので、本当にそこに行きたい人にとっては、ツアーのほうが効率的となることがある。

ひとりでバスをチャーターすることはできない。ツアーを使わないひとり旅行では、移動の枠組みは公共交通機関などによって決まる。そこに行く飛行機、電車、バスなどがあるなら行ける、ないなら行けない、となる。さらに、公共交通機関はあるが旅行に行ってみたらストライキで行けませんでした、などのイレギュラーな事態もままある、
一方のツアーでは、そこに行きたい人が何人も集まって、そこに行くために必要な乗り物をチャーターし、そこに行くことができる。ある意味ツアーの方がフレキシブルだ。
同じ目的をもった者たちで集まり、資金を出し合い、乗り物をチャーターするというのは、大航海時代の株式のルーツの誕生に近いものを感じる。中世でも現代でも、ここから遠く離れたアクセスの悪いどこかに行くのは、ひとりの力ではできないことなのだ。

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