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従兄弟が成長していた

従兄弟がいる。わたしより一歳歳上の。
一歳年上だが、浪人だか留年だかでいつのまにか学年的にはわたしの一つ下になっていた従兄弟だ。

親戚の同世代(1970年前後に生まれた親世代から生まれた、1990年後半生まれ世代)の中で男は彼だけだ。
女はたくさんいるのに、男はひとりしかいないものだから、遊び相手らしい遊び相手もおらず疎外感を感じていたのかもしれない。小学校低学年くらいまでは可愛かった。天真爛漫で、我々女の子組に混ざって一緒になわとびやバトミントンで遊んでいた。
それが、中学生くらいになるとずいぶん刺々しくなってしまった。今までわたしのことを「(名前)ちゃん」と読んでくれていたのに、突然「お前」と呼び出したりした。おばあちゃんやうちの両親からお小遣いを貰っても、ありがとうと言えずに叔父さん(彼のお父さん)に怒られていたりしていた。

今思えばただの思春期というか、自分を庇護してくれる大人にべったり甘えられていた子供期から、まわりの大人を独立した個人として自分と対等にみなすようになる過程において、他者との距離を測りかねる葛藤の最中にあのような態度になってしまっていただけのように思えるが、当時のわたしは自身もまた思春期でありそんなことはわからなかったので、なんか嫌な奴だな、グレたな、と思う程度だった。

お互いに高校生、大学生の間はほとんど会うことがなかった。高校生のときはお互いに受験勉強で忙しかったし、大学になるとわたしは東京へ、彼は西へ行った。わたしはバイトで、彼は恐らく研究で忙しかった。彼が留年したことは祖母から聞いた。「あんたより年上やのにあんたの後輩になってもたで」と祖母は笑っていた。

大学を卒業してしばらくが経った。
わたしが28歳、彼が30歳という年のお盆にほぼ10年ぶりに再会した。
従兄弟はわたしのことを「(名前)ちゃん」と呼んだ。そう呼ばれるのはほぼ20年ぶりだった。
祖母がわたしたち孫とトランプをやると言い出したので、わたしの部屋からトランプを持ってきた。わたしがトランプを繰ってみんなに配ろうとすると、「自分のほうが真ん中の席だから」と従兄弟が配ってくれた。

ところで、わたしが初めてプレイしたポケモンゲームはパールだった。わたしが初めてゲットしたポケモンはポッチャマだ。これは死ぬまで変わらない。
わたしはポッチャマもエンペルトも好きだが、その中間のポッタイシだけは好きになれない。なんか…中途半端すぎる。ビジュアルが中途半端すきるのだ。

左からポッチャマ、ポッタイシ、エンペルト

ポッチャマは可愛らしい赤ちゃんペンギンだし、エンペルトは堂々たる皇帝ペンギンなのだが、なんかポッタイシが…赤ちゃんペンギンのやわらかさを残しながら顔だけいかつくてどうしても好きになれない。

従兄弟がやたら尖っていたあの期間はポッタイシ期間だったのだな、ということで自分の中で納得した。天真爛漫だった男児時代と、人のことをよく見て思いやれる大人時代の間の、なんかよくわからん期間。

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