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トルコ旅行記 イスラム教と政教分離
イスラム教と政教分離
トルコの国教はイスラム教だ。
ヨーロッパとアジアは、トルコの文脈においてはキリスト教とイスラム教といっていいと思う。トルコがヨーロッパとアジアの境であるといわれる所以は、現在のトルコ共和国のこの地においてキリスト教とイスラム教のせめぎ合いがあったことにある。
日本で「トルコに行く」というと、「中東?危ないんじゃない?」と心配されることがある。
中東=危ないというステレオタイプは、中東=イスラム教圏である、という前提があるのではないかと感じている。イスラム教は他の宗教に比べてテロのイメージが強い。さらに、テロまではいかなくても戒律に厳格なイスラム教では、イスラム教徒ならざる者には排他的で、日本人は歓迎されないのではないかと思われているのかもしれない。
トルコはヨーロッパでは「ソフト・イスラム」と呼ばれているらしい。イスラム教国家としては非イスラム的なものに寛容であるからだ。
トルコ国民のほとんど、95%以上はイスラム教を信仰していると言われているにも関わらず、ソフト・イスラムと言われるには明確な理由がある。トルコ共和国では、政教分離が取られているのだ。
日本人の多くが、イスラム教の国というと、無意識に政教一致を前提としているのではないかと思う。政教一致のイスラム国家では、まず経典であるコーランがあり、コーランを元に法律が作られれる。
政教分離の国では、戒律を元に法律は作られない。法律は法律として確立される。さらに宗教の自由が認められているため、トルコではイスラム教以外の宗教を信仰することもできる。
オスマン帝国のトルコ共和国の最大の違いのひとつが、政教一致だったオスマン帝国から、政教分離となったトルコ共和国、という点だ。トルコ共和国の建国者であるアタテュルクは、トルコの近代化施策の一つとして政教分離を成し遂げた。
現地のトルコ人のガイドさんによると、「熱心はイスラム教徒であれば今でもモスクで礼拝する人もいるが、しない人も多い。金曜日(イスラム教において重要な曜日。モスクでの礼拝が必要)は平日だから普通に働いている。日本と同じで土日祝が休日」とのことだった。
女性たちの服装
とはいえ、熱心なムスリムが多い街、少ない街というグラデーションが存在する。街歩く女性の服装を服装を見るとわかりやすい。敬虔なムスリムは、公の場では、夏でも肌や髪を布で覆い隠している。
わたしが訪れた中で、熱心なムスリムが多い街はコンヤという街だ。トルコ最大の都市で、その面積はオランダより大きい。世界で初めて人類が麦を栽培したといわれるコンヤ平原を有する。
コンヤには、イスラム神秘主義の一派であるメヴラーナ教団の創始者の霊廟がある。政教分離を成し遂げた、トルコ共和国の建国の英雄であるアタテュルクの命令によって一時閉鎖されたが、現在は博物館として一般公開されている。
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イスラム教一派の教団があるその土地柄から、コンヤにはイスラム教の戒律に従って髪や肌を覆い隠す女性が多い。
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イスタンブールや首都のアンカラでは、このように髪も肌も隠す女性はそこまで多くない。半袖にジーンズというようなカジュアルな服装の人が多い。
イスラム教では、体のラインがわかる服はよくないとされている。しかし、比較的宗教信仰の裁量が個人に大きく認められている、さらにいえばイスラム教をそこまで信仰していない人が多い大都市の女性は、昨今世界的に流行しているY2Kテイストの、肩やデコルテ、お腹、脚が露出した開放的な服装の人も多かった。そのような服装の女性は、コンヤではあまり見かけなかった。
トルコ建国の父は政教分離を成し遂げたけれど
トルコ建国の父として今もなおトルコ国民に絶大な人気を誇るタマル・アタテュルクは、トルコの政治とイスラム教の分離を成し遂げた。弱体化したオスマン帝国を欧米列強の分割支配から守るには、トルコにも西洋的な政治システムが必要であると彼は考えたからだ。日本の富国強兵に近いものを感じる。近代のアジアの国々においては(世界においては?)、国を強くする近代化とはすなわち、西洋化のことを指してきた。
トルコ建国より100年が経った。
依然としてトルコは政教分離体制を保持しているが、今後どうなるかはわからない。というのも、現在のトルコ大統領であるエルドアン大統領が、トルコのイスラム化を進める宗教的保守派の政治家だからだ。
2021年のトルコリラ暴落は記憶に新しいところだが、トルコリラ暴落の理由のひとつが、トルコの中央銀行の金利の引き下げにある。2024年、日本でも日米の金利差(米ドルの金利が高く、日本円の金利が低い)によりドルに対する円の価値が下がり、円安となっている。とある通貨の金利が下がると、その通貨の対外的価値が下がるというのがセオリーだ。
エルドアン大統領が金利を下げた理由だが、「イスラム教では金利によって利益を得ることが禁じられているから」がある。日本の場合、日銀が金利を上げないのは日本国内の金融活動を活発化させるためというあくまで経済市場的な理由だが、トルコの場合は宗教的理由だ(もちろん、これだけが理由ではないが)。
国の金融政策が宗教によって左右されるというのは、日本人から見るとにわかには理解し難いことだ。
また、イスタンブールのハイライトのひとつであるアヤ・ソフィアも、以前はイスラム教とキリスト教の歴史を持つイスタンブールを象徴するものとして、博物館となっていた。しかし、2020年に、博物館ではなくモスクに変更され、一階は礼拝をするイスラム教徒のみ入場可能となった。アヤ・ソフィアの博物館からモスクへの変更にあたり、キリスト教勢力から大きな反発があったが、モスク化が強行された。
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現在はモスクとなっているが、2階の博物館部分は観光客入場可能
金利引き下げにおいても、アヤ・ソフィアのモスク化においても、これらの状況を考えると、今後トルコの中でイスラム教の存在感がどうなっていくのかはわからない。
2021年、ブルカ(顔を含めた全身を覆うベール)を着用しなかった女性が、タリバンによって射殺されたアフガニスタンとて、1970年には女性たちはミニスカートを履いて外を歩いていた。
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今この瞬間宗教的自由(宗教を信じるか信じないか、信じるにしてもどの宗教を信じるかの自由)が認められている国であっても、数十年もあればアフガニスタンのように様変わりする可能性はある。それはトルコでも日本でも同じことだ。
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