相手の発言でどこか許せない ひっかかる そんな時。 それは、自分の中で許せないこと もっとも気にしていること 大事にしたいこと だからかもしれない。 だから、聞き流せないし 見過ごせない。 でも、それを良い意味で聞き流せたり 見過ごせたりしたら わたしはもっと 生きやすくなるのかもしれない。
現代のこの世の中、目に見えないものを敬う人がどれほどいるのだろう。 と、ふと思った。 大昔から各国々、地域で各々の神を祀り、敬い、崇めてきた。 今回はここで宗教の話をしたいのではない。 日常の生活で、私たちはいくつもの思い(思念)や感情を抱えて生きている。 思いやり、優しさ、悲しみ、羨ましさ、憎み、苦しみ。 これらはすべて目には見えない。 しかし、思い(思念)や感情として、確かに存在している。 特殊な霊能力を持っている人は時にそれがオーラの色としてみえたり、
am I still crying?no, just be stay by sadness. but I'm creating my world no matter what someone says it's impossible.I am about to stand up.
人間は、他人との触れ合いや、繋がり、コミュニケーションをどの動物よりも必要としている。 それにも関わらず、他人とのコミュニケーションを最も恐れている動物でもある。 なんて、矛盾している生き物なんだろう。苦笑いがでる。 恐れている理由はシンプル。 自分が傷つきたくないから。 だから自分がOK(この人は安全)と制限を勝手につくる。その制限が狭まるほど、自分が生きやすくする可能性も狭めている。 でも、おかしなことに、その傷を癒やすのも、埋めてくれるのも、他人とのコミュニケーションし
過去の記憶。 特に辛かった経験。 何十年経っても消えない心のわだかまり。 これを当時の相手と面と向かい、話し合い、自分がどう感じていたか、どう思っていたか、腹を割って伝え合い、解りあえたらどんなに気が楽になるだろうと思う。 でも、何十年も経った今、その相手は目の前にいなく、どこにいるかも分からない。 だから、この長年心の隅で身を潜めていた、完全に消し去ることのできない記憶は自分でどう折り合いをつけ、消化すればいいのか、大人になった今でも迷う。 人間は生きていると、その繰り返し