嘆くこと

小学生のときの遠足
当日雨で「絶対中止だね」というなか、わたしは遠足の準備だけしてリュックで登校した。わたし以外の子はみんな授業の準備をしてランドセルで来てた。その日は隣の子に教科書をみせてもらった。

「~だから仕方ない」
これをやる前に「嘆いて」ほしい。

嘆き忘れたことがあるなら嘆きなおしてほしい。

例えば、親の都合で引っ越すのめっちゃ嫌だった、
親が喧嘩ばっかりして嫌だった、
姉にいじわるされて嫌だった、
仕事が決まらなくて嫌だった、
遠足中止になって悲しかった、
こどもの病気で予定がキャンセルになって悲しかった、悔しかった

わたしも大人になりともだちが体調不良で旅行に行けなくなったとき、こどもがうまれて予定のキャンセルが頻発するようになったとき、「うんうん、仕方ない。」と涼しい顔をするようになっていた。そしてこどもが4才のときに氣づいた。自分は何が大好きで、何にワクワクして、どんな服が着たくて、どんな髪型にしたいのか、自分をどう表現したいのか分からなくなっていたことに。

NVC, Non-violent communication, 非暴力コミュニケーションで出会った「嘆くこと」。これはだれか自分以外の人を責めることではないし、こどもにイラっとすることでもない。うんうん、嫌だった、悲しかった、悔しかった、がっかりした、、、遊び、楽しみ、自分を大切にすること、スペース、、、、こんなニーズが満たされなかったよね、と自己共感すること。自分が自分のためにするプロセス。
3cf0d891b59649854d3d51fc44e4b267.pdf (nvc-u.jp)(感情リスト)
NeedsSheet.pdf (kufuuandmagic.com)(ニーズリスト)は様々ネットに公開されている。

わたしも思います、親には大切に育ててもらった。感謝してる。でも、仕方なくは、ない。It matters. 自分の感情を感じることは大切なこと。

男の子だから泣くなと言われたかもしれない、
親に氣をつかったかもしれない、
昭和はそういうの我慢する時代だったな~と思う。そして今はちがうと思う。

以前書いた「身体がノーと言うとき」(ガボールマテさんの本、動画もある)
自分の感情を感じない(numb)とか押し殺すとか、そういうのを続けていると病気とか痛みというかたちで身体がNoを言うことがある。感情を感じ切っていない人は感じていないことに氣づかないことも多い。

一旦嘆き始めると、ワンワン泣いちゃったりして家族が心配するかもしれないけど、自分の氣もちをプロセスしているだけだから大丈夫だよ~と伝えてほしい。嘆くにはスペースも必要。家に人が大勢いるならカラオケボックスとかでも。防音です。

「感じる」が敏感になると世界の美しさも感じやすくなる。空が美しいこと、家族がやさしいこと、ごはんがおいしいこと、世界が愛に満ちていること、、、。

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