「馬」と「剣」~騎士を因数分解する
世界史講師のいとうびんです。
今回は、みなさんも一度は聞いたことがあるであろう、
中世ヨーロッパの「騎士」についての記事です。
この一見「知ってるつもり」の騎士について、ちょっと変わったアプローチから、「理解」を深めてみてはいかがでしょう?
それでははじまりはじまり~
1.中世ヨーロッパと騎士
「中世ヨーロッパ」と聞けば、すぐに「騎士」を連想する人も多いでしょう。
今やファンタジーというより、小説、コミックにソシャゲで大☆活☆躍
ただこうして目にする機会が多いせいか、騎士を誤解している人、正確に言えば「本質を見落としている」人が多いと思います。
世界史の学習者であればなおさらです。
とはいえ、この騎士は、単純に馬に乗った軍人=騎兵ではなく、その定義や概念は様々で、一概に解説することは難しいのです。
ですが、ここでは単なる「騎兵」と異なる「騎士」の特徴を捉えるため、2つの要素を切り口にその存在を明らかにすることにします。いわば因数分解です。
その2つの要素とは、ズバリ「馬」と「剣」!!
2.馬に乗る、ということ
"A Horse! A Horse! My kingdom for a Horse!" ―シェークスピア、『リチャード3世』
まず騎士を語る上で欠かせない要素はなんといっても馬です。
というのも、ヨーロッパの各国語で表現される「騎士」の語は、いずれも「馬」をその語源としているからなんです。
「騎士」を指すフランス語のchevalier、ドイツ語のRitter、イタリア語のcavaliere、スペイン語のcabarelloは、それぞれcheval(仏)、reiten(独)、cavallo(伊)、caballo(西)から派生した語です(ただしドイツ語のreitenは「騎乗する」を意味する動詞)。
英語のknightの場合はドイツ語のknicht(臣従する)を語源としており、この点だけ他国と異なる。これは、騎士制度がそもそも大陸起源であり、ブリテン島にそれが伝播した時期が比較的遅かったことが影響しています。
では、馬の所有が意味することとは何か。
そもそも馬の保持は古代世界より富裕者に限定されていました。
その理由は、
① 馬そのものの値段が高額であること
② 馬の維持に飼葉だけでなく厩舎などの設備や人員がそれ相応に必要であること
③ 最大の点は、騎乗訓練ならびに騎乗戦闘訓練に、日常の時間の大半を費やさねばならないこと
(このあたりの議論は、須田武郎『騎士団』新紀元社、2007年を参照)
いかがでしょう?「馬を持つ」ことがこれほど負担が大きいと気づかされた人も多いのではないでしょうか。現代であれば自動車を持っていると、同じような状況が起こりえるでしょう。
というわけで、これらの条件をそろえるのは、土地を所有する貴族、それも職業軍人の階層にどうしても限定されます。
馬に乗ること、それは貴族=支配階層であるというステータスシンボルなのです。
したがって、中世ヨーロッパの騎士は基本的に土地を持ち自給できます。彼ら自身は自分で働く必要はありません。農奴が代わりに働くので。だからこそ鍛錬を積む時間があるのです。
そう、騎士はほぼ例外なく領主なのです。世界史では特に小領主層を指して騎士と呼ばれます。
3.剣を帯びる、ということ
さて、お次は剣についてです。
火薬が登場する以前の武器には、槍、斧、弓矢、剣などが挙げられますが、これらの武器の中でも異質の存在と言えるのが剣です。
槍や斧、弓矢は元来、日用作業具であったものが転用されたものであり、例えば槍や弓は狩猟や漁労具、斧は伐採や加工道具を起源とするといった具合です。また、これらの道具はその作成が比較的容易であることも共通しています。
しかし、剣はそれ自体が純粋に武器としての使用を想定して作成されたものであり、またその製作にはある程度以上の高度な加工技術が要求されるものです。
したがって、剣はこれらの武器の中でも高価であり、剣の所持はすなわち馬と同様、その所有者が富裕であることを暗示させるのです。言い換えれば、その所有者の多くは必然的に戦士であると同時に、社会階層の上位に属することになります。誰もが剣を持てるわけではないのです。
しかし、剣はなかなかヨーロッパで普及しませんでした。
ヨーロッパでは古代より戦士の主要な武器といえば槍です。ギリシアの諸ポリスからゲルマン諸族まで、主に用いていた武器は槍でした。
なかでも中世の担い手であったゲルマン人は、彼らの信仰する主神オーディンが槍の遣い手として言い伝えられており、槍は単なる武器以上の意味を持っていたのです。このゲルマン人の社会では、すべての自由民の成年男子に戦士として戦うことが義務付けられていました。戦士として共同体に認められるには、戦場での活躍を見せ、その証として首長より槍が授けられる必要があったのです。
剣の普及が進んだ背景は教会にあります。
中世のゲルマン的社会では「自力救済」の原則のがありました。自力救済とは、「自分の身は自分で守る」ということ。これはいい換えると、中世ヨーロッパは警察がいないということです。
そのため、国家間はおろか領主間での抗争が間断なく生じていました。この状況は10世紀を迎えても同様であり、これらの紛争は私闘Fehdeと呼ばれます。
教会はキリスト教の隣人愛に訴えてこの諸闘争を収拾させようと運動を始めました。これには、キリスト教の教義に沿った使命感というよりは、自分たちの自衛の手段に乏しい教会の差し迫った危機感ととることもできます。
ともあれこうして教会による平和運動、「神の休戦」「神の平和」運動が始まりましたが、同時に教会は戦士の叙任式に着目しました。
ゲルマン式の戦士叙任式で首長より与えられる槍を剣に変更させ、また、その儀式も教会主導で執り行うように取り計らったのです。
こうして、今日でいう「騎士叙任式」が漸次的にその形態を整えていくことになります。新しく叙任される騎士に与える剣を十字に見立て、その剣(武力)の使用者に、主君への忠誠と教会の保護という二つの責務を負わせたのです。
こうして中世ヨーロッパでは、剣に二つの象徴的な意味が組み合わされました。
ひとつは剣が元来から持つ戦士・エリート層の証としての要素。そしてもうひとつはキリスト教会の守護者としての要素です。
しかし、この二つの要素は元来が異質のもの同士の組み合わせに過ぎないものでした。そればかりか、その矛盾を解消する術が見いだされないままであったたことが大問題。
その問題とは、「騎士は戦闘員やが平和を愛するとかどないすらええねん」ということです。
実際、「神の平和」「神の休戦」は失敗でした。そこで教会は妙案を見出します。
「そんなに戦いたいなら身内やのうて異教徒と戦ったらどないや?」と。
これが11世紀より始まる十字軍遠征の下地となるのです。
では、最後に簡単なまとめを。
騎士とは何か?
・騎士の本質は貴族、より正確には領主のこと
・剣には教会の守護者という意味合いがある(守るとはいってない)
今回はここまで、
お付き合いくださりありがとうございます。
※余談
"A Horse! A Horse! My kingdom for a Horse!"
このシェークスピアの引用ですが、訳すと
「馬を!馬を寄越せ!その馬のために国の一つでもくれてやる!!」という具合。
これは『リチャード3世』という劇で、主人公の国王リチャード3世が反乱軍との最後の決戦で落馬したシーンのセリフです。
切羽詰まった戦場での様子をまさにドラマティックに表現していますね!
これはリチャード3世の命運を暗示しています。なんてったってこの直後に戦死しますからね。
シェークスピアは馬の持つ本質的な意味を弁えていた。戦場で馬を失った王はもう支配者ではない、だから王座から転げ落ちるのは当然の成り行き、ということです。
西洋文学はこうした背景がわかると、翻訳だけでは表しきれない、より本質的な意図に辿り着けるんです。
読んでいただいただけでも、充分嬉しいですよ!