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初めて部下を持った人へ 初めて管理職になった人へ

市役所に勤めて27年がすぎました(たぶん)。
39才で係長になり、
44才で課長になり、
46才で次長になりました。

部下からの相談

初めて課長になった部下から、
相談を受けたことがあります。
「課長として、課員を指導することが難しいです。」と。
その課長は、仮にAさんとしておきます。

実はパワハラ加害者

実はAさんは、
パワハラ加害者だ、として、
Aさんの部下が、
Aさんの上司である私や人事課や職員組合に訴えていた、
その当事者でした。

部下の部下からの相談

Aさんのその部下は、まず上司である私の所に来ました。
できるだけ穏便にしたいので、
Aさん本人は言わないで欲しいと言いました。

間をあけず、人事課にも同じ内容で相談したようです。

この状況を上司と人事課に言いはするけれど、
これから逆恨み、さらに悪くなる、陰湿化する可能性、
そういうことを心配して、
Aさん本人には言わないでという希望でした。

ハラスメント、いじめ等々では、
加害者がさらに攻撃してくることを、
被害者が最も心配し、
最も避けたいところだと思います。

人事課も、私に、
「できるだけ穏便に」「改めるよう」指導して欲しいと、
言う。

本人に言わずに、
どうやって指導できると思います?(^^;)
難題!


でも、被害申し出者本人の希望なんだから、
「なんとか」「結果を出す」しかないわけです。

パワハラは、裁判になると負けます。

加害者だけでなく、
その上司である私も懲戒処分になるでしょう。
被害者がパワハラだと思えば、その時点でパワハラでしょう。
そしてパワハラを生んだその上司、組織は罰せられます。
それくらいの重大インシデント。

だから、本来、すぐに加害者であるAさんに伝え、
今すぐ言動を改めなさい、
訴えられたら懲戒なんやで!と指導し、
自覚して意識してやめさせる以上に、
効果のあることはないと思うんです。

でも、それは希望していない、と。

うーーーーん。むずっ!


「穏便に」プロジェクト。

なので私は、
Aさんに困りごとはない?と尋ねることにしました。

初めて課長になったところだし、
いろいろと難しいこともあるんじゃない?と
尋ねてみました。

そこでAさんが言ったのが、
「課長として、課員を指導することが難しい」ということ。

よく聞いてみると、
自分が期待しているようには部下が動かないので、
「どうして○○ということに気づかないの?」
「なぜ○○という可能性を抑えておかなかったの?」と
少し責めるような口調にもなってしまっているとのこと。
そして、
「誰もが最後は黙ってしまう」というのです。
「僕は、議論したいのに、
やっぱり課長には言いにくいのでしょうか。」

なるほど。
パワハラという言葉はでませんでしたが、
うっすら本人も自覚的なものはありそうでした。

Aさんのことは私自身は大変評価しています。
なんなら、課長職に推したのは私です。

仕事は緻密だし、言葉遣いも丁寧だし、
考え得る手は打つし、
難しい交渉も粘り強くできる。
仕事の経験に裏打ちされた説得力もあります。
そう、とても優秀な職員です。


私も、彼の問いに対して
ずばりな答えは持っていないのですが、
Aさんに伝えたのは以下のことです。

初めて部下を持つことになった、
周りから一定の評価を得た方にも伝えたいです。
「優秀なのは上司だ」と思っている、
部下を持つ優秀な上司の皆さんにも伝えたいです。


上司は部下より「経験」が多い

まず、Aさんは優秀だということは認めます。
今までの経験もある、誰よりも長く今の部署にいる。
そして年上、そして「課長」という「長」だということ。
部下は、そんなAさんが発する言葉には
従わないといけないと思っているくらい、
名実ともに上司です。

そのAさんの上司である私よりもAさんの方が、
その課の業務はよく知っているし、
上司である私は、よく業務を知らないがゆえに、
その課のことはAさんの判断、意見を聞きたいと思い、
私はかなわないと思っていること。
だからいつも何度も「教えて」と言っている。

でもね、
それでも私はAさんの上司だと思う。

「優秀」だから上司ではない
「経験がある」から上司になっている

どういうことかというと、
やっぱり全体を通して、市役所の仕事をする点で、
今の私の方がAさんよりも「経験」があると思うから。

Aさんの課の詳細な業務は理解できていなくても、
Aさんができて私ができないとしても、
今までにないインシデントがあったらどうするか、
たとえば議会対応、マスコミ対応、だったら
私の方が経験があるから、判断ができる。
なんなら、いろんな方面との信頼関係も説得力もある。

これはどういうことかというと、
上司とは、「経験」があるということ。
そして
能力は部下の方があるかもしれないということ。

これはどういうことかというと、
Aさんが部下に対して能力不足を感じることがあるかもしれない。
でも、それは本当に「能力不足なのか?」と疑うこと。
能力じゃなく、「経験」がないだけじゃないのか、と。

たとえば、
大谷翔平さんに野球を教えた人。
その人は大谷翔平さんよりも能力があったのかな?
ただ、大谷翔平さんよりも経験があったから
教えることができていたのではないのか?
たとえば、
シェークスピアの作文を添削したシェークスピアの先生。
その人はシェークスピアよりも能力があったのかな?
シェークスピアよりも経験があったから
教えることができたのではないのか?

そう思うと、
先に生まれ、先に経験を重ねた人は、
後に生まれ、まだ十分に経験を積んでいない人に対して、
あたかも能力がないように扱い、そんな態度を見せるのは、
間違いじゃないのかな。

あと、
能力を勝ち負けみたいに競うのは、疲弊するよ。
勝ち続けていればいいけど、いつかは負ける。
高校野球でも優勝校以外は、全国のチームが負けて終わってる。
仕事の場合、それを評価するのが他人だったりする。
そんなしんどいレッドオーシャンで勝ち残ること、
つまり「人より優秀」と言われたいことに価値を求め、
勝ち続けようとするのは、本当にしんどい。
その人にはその人のとても素晴らしい能力がある、
認めるだけで、幸せを感じない?

部下をよく見てみて。
すべてにおいて、自分が勝っているなんてことはない。

目の前の部下に対し、
上司のあなたは経験はある。

愛情と尊敬の念を持って、部下に接してみることが、
人として幸せ、
その人の器じゃないかなと思ってる。

そして、そう思いながら、
私はいまもAさん、あなたに話しかけてるのよ。

あなたにだけじゃない。
いつもそう思って人に接している。

私はたいていの職員の良いところ、
能力のあるところを言うことができると思っている。

そして、Aさんには私よりも得意な能力を持っているし、
私の方が得意な能力もあるだろうと思う。
だからどっちが「優秀」か比べることは不毛。
なんの意味も持たない。

今はまだ経験が少ない、
経験の幅がまだ狭いから「部下」であるけど、
私にはない、私ではかなわない能力を持っている人が
そこらかしこにいる。
Aさんを含めてね。

そう思って、部下のことを見れないかな?
そう思って、部下に接すれば、
部下も恐れずに意見を出そうとしてくれるんじゃないかな。
工夫や考えを臆することなく言えるんじゃないかな。

と、えらそうに言いながら・・・



その後、Aさんの態度は?

後日、申し出者に尋ねたら、
「変わってません」、だってさ。
がっくり・・・
わりと時間をかけて話し合ったのに・・・

直接ストレートに言わないと、
パワハラはなくならないですって!
そういう教訓も、得たわけです。

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