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底打ち

しばらく勤めていた会社を少し前に退職した。心も体も疲れ果てていて、とにかく距離を置きたかった。

私のキャリアプラン、そして人生プランにおいて、こんなことになるなんて全くの想定外だった。何度か転職をして、いろんな経験もしてきている。その上で、しっかりと選んだはずだった。社会人になってからずっと憧れだったポジションで、気になっていた会社だった。

退職してしばらく経ち心の傷もだいぶ癒えてきて思い返してみると、始める前に想像していたとおり、面白い仕事だった。小さい組織だったので、いろんな仕事に関われたし、スキルだって身についた。その仕事を始める前の私がびっくりするほどに、成長したと思う。

ただ、その会社で起きた様々なことについて、今でも心の底から嫌悪している。生々しい感情が起こらなくなったからこうして文章に起こせるものの、恨みつらみは墓場まで持っていくことになるかもしれない。

大変なエリート男性たちが仕切っているような職場で、彼らはまったく自然に女性をばかにしていた。そして女性たちはばかにされるのに慣れ切っていた。どうでもいい扱いをされてきて、それをすっかり内面化していた。「私なんて」と。

この職場で私はセクハラに遭った。セクハラというと生易しすぎるくらいの、心がぼろぼろに崩れるような経験をした。正直、何が起きたのか今はよく思い出せない。辛すぎて思い出せなくなった、ということだと思う。困難すぎて、めまいや蕁麻疹、目の焦点もうまく合わなくなっていた。

迷った挙句ではあったが、しばらくののち私は会社へ訴えた。海外の会社だったので、本社へ連絡した。そして焦った日本社長によるパワハラ騒動も経験しながら、どうにか収めた。セクハラ当事者は辞めたが、かなり時間がかかった。

ここまででも相当なダメージだったところ、今度は女性たちから非難を受けることになる。私がわがままを言っている、というような話だったと思う。セクハラという事態、女性は味方になってくれそうなものだけど、現実は複雑なものだ。我慢してきた彼女たちは、私だけが助かるのが許せないのだ。まったく、環境が悪すぎた。

この一連の経験をして、私はうつ病にはならなかったけれど、感情がほとんど感じられなくなった。離人症、というのかもしれない。幸いコロナ騒動でうちに篭りゆっくりと過ごしたのが功を奏して、感情は徐々に戻っていて、今はめまいも蕁麻疹も目の異常も回復した。しかし、こんな経験をするなんて、人生ちょっと辛すぎるのではないか、と今でも思う。


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