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点滴石を穿つ ありきたりだけど続ければいいよって話

人生のパートナーを探している。

誰かを選びに行くと、相応に選ばれない事態が発生する。

一回は食事できても「また行きましょうね!」の社交辞令を交わした以降、音沙汰がなくなるなんてよくあることだ。真剣に相手を選ぼうとすればするほど、フラれる回数も増えていく。だから、いちいち凹んではいられない。むしろ振られる回数が多くなってきたら、相応にきちんと挑戦している証拠とも言える。何もせずに「いい人いねえかなあ」って言ってるだけよりいくらかマシ、と自分に言い聞かせて慰めとしている。

他方、なにが悪かったのかなぁ、とぼんやり思う。凹まない程度に失敗要因の考察をする。たぶんそれはいろいろあって、単に相手の要求や好みに私が合致しなかったという面もあるだろう。その一方で、私自身の努力でなんとかできたところだってきっとある。

じゃあ、その「なんとかできたところ」って何だろうか。

ここで壁にブチ当たる。恋愛の一番難しいところだ。相手はその答えを教えてくれない。「アンタのこういうところがイヤだから次はナシ」と伝えてくる人はまずいない(いたとしたら、めちゃくちゃツラいけどある意味親切だなあとも思う)。つまり相手の仕草、態度、表情、その他ありとあらゆる非言語化要素から推測を組み立てるしかないのだ。


わかるか!!!!!!!!


そうやって放り投げようとする。いや何十回と放り投げてきた。でも、最近はそのまま諦めることなく、切り替えられるようになっている。
経験をこなすうちに、あくまで仮説しか立てられない、と割り切れてきたからだ。「セオリー」のようなものは座学で勉強できても、目の前にいる相手の気持ちを完璧に読むことはできない。
従って情報を集め、仮説を立て、検証し、もう一度情報収集、仮説を立て………このループを回しまくって自己の言動を最適化していくことに尽きる。スポーツの練習と似ている。試合に勝つ、つまりパートナーを得るためには、セオリーの勉強や自分磨きといった「打ち込み」だけでなく、個別の連絡やデートといった「対人練習」も必須。それも、たった一人の大好きな人、だけじゃなくて「ま、行ってみっか」くらいの気持ちで量をこなした方が伸びる。さらに、努力の方向性を修正できる「コーチ」役の友人がいてくれると、なおやりやすい(幸い、私の周囲には何人かそのような人がいる。とても感謝している。)。
そしてこれもスポーツと同じく、対人練習の経験値は飛躍的に大きいものの、相応のダメージを受け、やりすぎてもケガをする。
だから、途中で休憩を入れる、すなわち考察を放りだしても良いし、別の趣味にのめり込んでもいいし、時に自分磨きをサボっても構わないと私は思う。ただ、完全にやめてしまわないこと。寝ててもいいけど、時々寝返りを打って前に進むくらいのことはしておく。そして、ダッシュできる時が来たらまた走り出す。

恋愛の最適解なんてわからないし、たぶん一生手探りだと思う。パートナーを得られたとしても、関係性の継続は生涯にわたる課題だろう。
けれど、いや、だからこそ、か。
不断の努力、なんて言葉は疲れちゃうから似合わないけれど、重力に任せて降り注ぐことはできる。長く長く前に進み続けたい。

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