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人生のレール上に石を置く話

 SNSを見ていると不幸話が最近やたらと流れている。最近の私はポジティブ思考だから、赤の他人の不幸話はノイズにしかならないしミュートする。

だが、ふと気になる話がある。

特に親ガチャ子ガチャに失敗した人の話は、目を向けない今でもたまに考えたりする。
少し暇なので私の人生について語ろうかと思う。

 私の人生は至って普通で、特に何か不幸自慢できるような話があるわけでもない。何事もなければただ進学し、ただ受験し、ただ頭のいい大学に行っていたかもしれない。

ただ、私は普通の人生を送るのに飽きたのだ。やりたい事をとりあえず片っ端からやってみて、何か自分に向いてそうな物を武器にしようと思った。今でこそ笑い話にできるが、中学時代、友達のYouTubeの編集の手伝いをした話もあるし、私自身もmixiという動画投稿サービス、今でいうTikTokの前身で動画投稿をしていたりした。

自称進学校で、偏差値もまあまあある高校に進学した際もなんもせずただ周りの先導してくれる方達に黙ってついて行けばよかった。ただ私はそこで何を思ったのか自分が先導する一員になろうとでも思ったのか、かなりクラスで浮いた存在となり、高校1年はかなり苦い思い出となった。

現実でもネットでも黒歴史を量産しては数年後の私は後悔をしている。私のような突発的に何かしないと気のすまない多動性を持ってしまっているような人は敷かれたレール上をただ黙って走っていればいいのに。


ただ、自分が良かれ、変わろうと思ってやった小さな行動が、大きな歪みを生んだ。


───悪気なく石を置いた、そんな感じだ。


 笑止。先程の後悔をしているという文言は忘れて欲しい。私は今この人生を謳歌していると自負している。苦しい事は幾度も経験してきて、後悔も失敗も沢山してきた。


あの日、石を置いた事で私はこうして普通の人間と違う人生を楽しく"生きさせて"もらっている。

わざわざこの言い方にしたのには、明らかに私1人ではこの人生を楽しむことが出来なかったからだ。

私は転校したり、周りと進学先が違ったりでずっと仲の良い友達がいるわけではないが、何故か楽しい人達と出会う運命的な何かには子供の時から専ら強い。今もこうして運と、周りの人達に支えられて生きている。

 現実で石をレール上に置けば想像は容易だろうが、自分の人生のレール上に石を置いた後はどうなるのか、それは後の私自身が決めるしかない。


強引に、そして革新的な自分自身の人生の変化を受容できたその時、誰よりも面白い人生が送れるのではないか。


と、つらつらこの様な例え話を電車の中で書き連ねているのは、あまり縁起のいい話ではないなと、懺悔。

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