Munta
日々出会うひとときょうのわたしについて。夏休みの絵日記のように記しておきたくなりました。よかったらどうぞご一緒に。わたしの1日をのぞいてやってください。
瞬きのその一瞬のなかに。過ぎさっていった、そしてまだ見ぬはずのすべての時間、記憶、感情を、幾重にも重なっているそれを見ているような、とても遥かな気持ちになることはありませんか? たくさんのことを知っていったら何もわからなくなってしまった。大人のまま子どもに戻ってしまったのだけどこれが楽しい!生きている。その不思議をうたいたい。 日々を十七音のなかに。
メロディはあるのだけど形になっていない、 まだ声では届けていない、 それでもわたしの大切なうたです。
秋神輿ひびき残して夜へ夜へ
近所の公園の柿の木が色づいていました。 夏の日に、やさしい木陰をつくってくれていたのに、秋になるまで正体に気がつかなかった。そんなことってありますね。 噤む木の実のいろついに柿と告げ
誰が言ったことばかは忘れてしまったのだけど、 「不器用だから」と言ってしまえる器用さ、というものがある。 という言葉が、なぜかとても印象に残っている。 そんなことを踏まえてみると、「偽善者」とか呼ばれてしまう瞬間のひとは、ある意味ですごくまっすぐで不器用であるがゆえに、人々にそういった印象を与えてしまうのではないか、と唐突にそんなことを思ってしまった。 結局のところ、どんなに頑張っても清濁併せ呑まないことなどできなくて、併せ呑んでいないひとなどもいなくて、変化しないこ
夏の雨。 なんとなく明るい切なさがある気がします。 夕立を 追ってひかりの 弓を張り
声もなき ひなかひぐらし 風を待ち
真夏の昼下がりが好きです。 心地よく疲れて横になって。まだ眠りたくはないのに、だんだんとこの世界が遠くなって、どうしても逆らえなくて落ちていく感じがまた。 夢の戸に至りて遠く蝉時雨
風が優しすぎて優しすぎて。 このまま消えてしまいそうな心地。 この日を選んで遠くから旅をして来たのだね。 たぶん、そう。 優しき日みつけて春の風となる
葉桜の頃よ袖巻く腕の白
送電線のうえにムクドリの群れかと思ったら、それが鳥避けでちょっと笑ってしまった。 いろんな意味で春です。 樹脂の鳥電子の枝にも風光り
目眩のように、白昼夢のように いつかの白い一瞬。 デジャヴにも似て陽炎をじっと見る
おはようございます。 昨日の夢もすっかり洗われて。朝です。 こでまりにのこして光り夢のつぶ
ビル並みがいつもより遠くぼんやり見える。 世界とわたしの輪郭もぼやけているような夜。 切りたての髪からのぞく耳たぶを、撫でてゆく生温い風。 これから生まれるいのちが瞼を閉じて夢を見ているような、夜。 ビルの灯もおぼろ仄白き春の夜半 微修正を致しました。
道明寺なればいただく桜餅 今橋眞里子「ホトトギス」 桜餅、と聞けばすぐさま道明寺のあの姿が浮かんでしまうわたしです。桜餅のあの丸み、甘さ、色み、ほんのりとした葉の塩気と香り。本当に春をちいさく体現しているお菓子だよなあと、しみじみ思います。大好きな桜餅の季節の到来が嬉しい。うす桃色のときを。それではいただきます。 桜餅(さくらもち) 晩春…清明から立夏の前日まで
その色、そのかたち、その香り。 ちいさなからだから「春」という響き。 見るほどに春のこぼれて桜餅
どんなところでも咲いてみせましょう。 にこりと言ってのける。 そんな強さと朗らかさと構わなさをもっている。 石の間に笑むわれもまた黄たんぽぽ
わたしと俳句の出会いは小学校だった。 「修学旅行の思い出を俳句にしましょう」という授業で初めて「俳句」という世界にそっと触れることとなったのだ。 授業が佳境に入る。日光を舞台に、思い思いの拙くも自由でかわいらしい句が詠まれていく。 わたしの記念すべき初めての一句はというと。 眠り猫春の光で眠たそう うん。わかる。ですよね。いやはや、小学生らしくてかわいいなあと思わずにっこり。 でも、この時に感じた『ことばを探して宙に手を伸ばす』感覚がとてもとても良かったのです。切