見出し画像

飛之夢 Fly Fly away

監督 Director 李纓 Li Ying
撮影 Camera 宮岡秀行 Hideyuki Miyaoka
出演 Cast 芒克 Mangke


「夢の入り口」 
 李纓 (り・いん)

蝶を見ているのが自分なのか、蝶であるところの自分が見ている夢の中で生きているのが自分なのか。

荘子「胡蝶の夢」

劇映画『飛呀飛(フェイ・ヤ・フェイ)』の撮影が終わってから二年たつ。映画も時間がたつと夢は深まる。日本の友人と私が、この番組を制作したのは、私が映画を創ったときの「夢」を確かめるためだった。夢から現実へ、現実から夢へ。飛ぶ夢ばかりでは疲れてしまうので、足元の接触が必要だった。映画を創ることは危ない空へ飛ぼうとすることに似ている。しかもそれは、ぎりぎりの低空飛行の如く細心の注意が必要で、それは場所、俳優、現像所との往復などすべてを見つけるための戦術を要する。 この映画は中国の友人とともに作りました。宮岡さんとのドキュメンタリー撮影を通して再会した彼らは、「また何かやりましょう」と言いましたが、東京では、そのような言葉はあまり聞かない。このドキュメンタリーは、北京とチベットの入り口にあたる成都、そして東京で撮影され、映画がそうであるように、年末から新年にかけて、都市や年を越えながら撮影と編集は継続された。年末にこういう旅ができて、新年に完成される。宮岡さんとの制作をきっかけに、劇映画自身も新たに編集し直し、完成する。 私は希少な蝶ではなく、世界には自分たちに似た蝶がたくさん居て、その蝶の羽ばたきは必ず影響をもたらすと考えている。それらの蝶たちが、少なくとも自分たちの行っている仕事と生産物についての情報を得て、それを行う、あるいは行わない可能性をもつことを私 (たち) は望んでいる・・・それは私にとって良い予感なのです。

李纓/Li Ying。1963年生まれ。1984年、中国中央テレビ局(CCTV)のディレクターとして、ドキュメンタリー制作に携わる。1989年、天安門事件を機に来日。1993年、プロデューサー張怡 (つぁん・い) とともに、映画テレビ番組製作プロダクション「龍影」を設立。 1999年、映画デビュー作である『2H』では、ベルリン映画祭最優秀アジア賞、香港国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。以来、劇映画『飛呀飛(フェイ・ヤ・フェイ)』(01年)、記録映画『味』(03年/NHK/龍影)、劇/記録映画『モナリザ』(07年/NHK/中国映画チャンネル/龍影)と作品を発表。代表作は『靖国YASUKUNI』(07年)。

夢の飛空原理
 岡田大由
「飛之夢~fly fly away」を観た。今回は今、日本で活動している中国人映画監督、李纓 (り・いん) が、彼の二作目『飛呀飛(フェイ・ヤ・フェイ)』(2002) を制作した仲間、詩人の芒克 (まん・く) と詩人でありノンフィクション作家である寥武 (りゃお・い・う) を北京と成都に訪ねる旅を李の妻であり、彼のプロダクション・龍影の代表取締役プロデューサーの張怡 (つぁん・い) のインタビューを交えながら構成された記録作品である。李は今回の番組の制作ノート「夢の入り口」の中で次のように言っている。
劇映画 『飛呀飛』の撮影が終わってから二年たつ。映画も時間がたつと夢は深まる。日本の友人と私が、この番組を制作したのは、私が映画を創ったときの「夢」を確かめるためだった。夢から現実へ、現実から夢へ。飛ぶ夢ばかりでは疲れてしまうので、足元の接触が必要だった。映画を創ることは危ない空へ飛ぼうとすることに似ている。
深まる夢。しかし、その夢と現実の狭間にある険しい距離。では何故、李はその「危ない空」へ飛ぼうとするのか。 ドキュメンタリーの中で、映画 『飛呀飛』の一部が紹介される。この映画は、死んだ男の霊が鉢に変わり彷徨うという中国の古い話と、一つの家に集まった二人の男と一人の女の物語が交差する、というものらしい。この中で、芒克が二人の男の一人、借金だらけの詩人を、寥武がもう一方の男、その詩人を取り立てに来た男を、そして、本作のプロデューサーの張がその詩人の愛人を演じている。映画の中の人物と、出演している彼らの実際の人生とを重ね合いながら、この映画は作られている、と彼らは語る。芒は借金と女性の問題を、寥は投獄された経験と恋人と母親との間にあったいざこざとを。しかし、ドキュメンタリーは、今の現実の生活の中の、幸せな時間を過ごす二人の姿を映す。芒は娘と "飛呀飛” に戯れ、寥は縦笛で妻に愛の唄を吹く。 「飛之夢~fly fly away」の中にひときわ印象に残るシーンがある。北京のとある郊外、草の叢れる、ドライヴ・イン・シアターの敷地に李が佇んでいる。制作ノー トの言葉が思い出される、「飛ぶ夢ばかりでは疲れてしまうので、足元の接触が必要だった」。李は地面を踏みしめる。まるで、これから飛び立つための足場であり、またいずれは飛行から降り立つだろう着陸地点を確かめるかのように。後ろには、冬の広い空と空白のスクリーンがそびえる。李はその時、何を想っていたのだろう。
フィクションとノンフィクション、虚構と現実の危うい関係を扱う李は、夢へと飛ぶ。「飛之夢~fly fly away」の最後では、『飛呀飛』の空飛ぶ鉢を追う犬たちのシュールなシーンと、東京の街で新年を祝う若者たちの空騒ぎの映像が重なって行く。そして、映画の舞台として使われた家に、今も実際に飼われている犬たちが歩き回る。李は宮岡たちとのこの旅をきっかけに、2001年に118分で当初完成されベルリン映画祭でプレミアされた『飛呀飛』を、映画祭後に編集し直した110分版を、さらに約90分の長さに再編集したという。宮岡の云う「芸術映画は短ければ、短いほどモアベター」が、反映したのだろうか。かつて、中国の友人とともに映画を作り、そして今回、日本の映画人とともに作られたこのドキュメンタリーの旅を通して、李が現実から夢へと飛ぼうとする理由が見えてくるような気がしはしないだろうか。 2002年1月30日
おかだ だいゆ/美術家/スタジオ・マラパルテ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?