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Coffee Days

耳には常にノイズが蔓延る

毎朝、ちょっといいコーヒーメーカーと昨日の反省会をしながら目を合わせる。ちょっと前までインスタントで済ませていた僕にとってコーヒーメーカとの出会いは大きかった。

少し自慢げにコーヒーを淹れながらスマホの画面にカタカナだらけのニュースを映す。

「円の快進撃 今後のドルレートいかに」「激化するロシアのウクライナ侵攻の現在」

あたりは静寂に包まれ、セミが外でノイズを奏でる。

ソファのいつもの席に腰を下ろしながら一息、

「なんて事ない日だな、、、」

耳にはノイズが蔓延る。

ふとSNSを開いてみると罵詈雑言のどんぐりの背比べ大会を目にし、テレビをつければコメンテーターが自慢げに自説を解く。外では街宣車が投票を呼びかけ、廃品回収車といい勝負をしている。

「いっそのこと海の中に放り投げてくれればな、」

そんなことを思いながら暑いコーヒーを一気に飲み干す。

灼熱の太陽が皆を家の中へ流刑させ、出そうとしてくれない。

環境学者が言うには過去最高の暑さらしい。毎年同じことを聞いているはずなのに、どこかもどかしい。

コーヒーを飲んでいる最中も、外で街宣車が演説している最中も、コーヒーメーカーと目を合わせている最中も常に人の目を感じる。しかし、僕は家にひとり。

スマホを持っていると自分の後ろにも目がついているような感じがするのである。「僕はこれも知ってるんだぞ」って、、、

ペダントリーが過ぎるのは人間の醍醐味だろうか、他の人には絶対に言えない自分の中の秘密である。

だが、僕のいない世界ではマエストロに対して粗忽な態度を見せ、自分の無知蒙昧をひけらかしている奴がたくさんいる。滔々と流れた謬見はマエストロによって適切に対処してもらいたいが、なにせ数が多い。

こんな世界は嫌だと思えばいつでも帰ってこられる。しかし、また同じ世界に戻ってしまう。

アジテートを試む者についていき、都合が悪くなれば直ぐに痛罵されてしまう始末。世界は四面楚歌に包まれている、

すでに隣のお話好きのおばさんとの会話もバスの待ち時間に開かれる井戸端会議の仄聞時代は消滅した。

如何に朗々とした社会を見つけ出そうと、もう手遅れである。ボヴァリー夫人もびっくりな結末を迎えてしまうだろう。

海に投げ入れられたい欲望はそのうち、億劫にも思えてきて想像していた海の景色は肴になってしまうのだ。

無味乾燥とした世界である。

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