#才能と壁と敵と

私にはいくつかの趣味がある。その中でも動画編集、DIYこれら2つは明らかにとある人からの影響を受けている。

私が師匠もしくは兄と慕う「選手」である。
彼は贔屓目に言っても天才肌と言えるだろう。
ひとたびDIYを始めればとんでもないオシャレハウスを作り上げ、動画編集ではあらゆる人から依頼があり地元電光掲示板でCMに掲載される。加えてひたすらモテる。
コミュニケーション能力にも優れ、彼の周りにはいつも人が集まる。集まった人は笑顔で溢れている。
そんなだから影響力は大きく私にもガンガン影響してきた。同じGoProを振り回したり一眼レフを買ったり同じパソコン同じアプリを導入して、DIYも同じ系統にしたり、服も貰って頻繁に着ている。

最初は真似しているだけで楽しくて良かったのだが途中から気付くことがあった。どれだけ真似してもどれだけ経験を積んでも圧倒的に自分の方がクオリティが低いのだ。
選手から話を聞いても理解できないことも多い。そこではたと気がついた。所詮自分がしてるのは真似事で圧倒的なセンスの壁の前では凡人の自分が追いつくことは出来ないと。
最初の頃はまだ経験が足りないだけ、道具が足りないだけといくらでも言い訳をすることが出来ていた。しかしそれはただの誤魔化しに過ぎず自分の才能がないことを気づかないようにしているだけだった。その事に気づいてからは地獄だった。どんなものを作り出してもひたすら自己嫌悪。元から自尊心低めの生き方をしているがそれからはさらに自尊心を地に落とすこととなった。

そんな失意に塗れている時にとあるふたつの言葉に出会った。テレビを見ていたらとあるタレントが「オリジナリティとは模倣の先にあるもの」と言っていた。先日ネットの記事でとある実業家の名言が載っていた。「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせの何物でもない」

救われたと思った。選手の作り上げるものはいつも独創的で心が踊りみんなを魅了するものだがそれは才能から溢れる発想から作り上げられ誰にも真似ができず誰もが到達出来ない領域に踏み入っている。そんなふうに神格化していたのかもしれない。もちろん私と選手の技術が追いついた訳では無いが私も努力次第で自分のオリジナリティ、アイデアを生み出せるという光が見えた気がしたのだ。

私を地獄に突き落とした敵は才能溢れる選手や、自分の作品などではなくてひたすらに自分を責め続ける自分自身。いわゆるリトルレオニーなのだ。リトルの言葉は本当に容赦なく自分を断罪し首を締め続ける。
私には今は私を救ってくれる言葉が出来たが、だからといってリトルの攻撃は防ぎきれない。
#口火でもひたすら後ろ向きなスタートを切ったのも恐らくこのリトルが1部執筆していたのだろう。
この強敵であるリトルとは今後もずっと共に生き続けて行くしかない。これからたくさんの言葉に触れ自分の道標となる存在と出会ったとしても必ずリトルは邪魔をしてくるだろう。未だに彼と共存できる術は持ち合わせてはいないがいつか彼と手と手を合わせて歩けるように努力していこうと思う。
この憎み愛すべきリトルと仲直り出来た折にはまたここでエッセイとして綴ろうと思う。

きっとその頃には選手のような心躍る作品を作ることができているのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?