神谷乗克について:Facebookでの2011年投稿から転載
理性は、全実在であるという確信が、高まって真理となり、自己自身を自分の世界として、
また世界を自己自身として、意識するようになったとき、精神である。
―ヘーゲル「精神現象学」D 精神
神谷乗克と出会ったのは二〇一〇年四月二十五日、ツイッター上だった。それというのも、その年の始めから、おもにモータリゼーションと図書館の役割から出発して〈公共〉について考えている最中、神谷の歯に衣着せぬ発言に私は沖縄の近代化を感じたのだ。
その後、ツイッターでやり取りし、mixiでも登録する内に神谷の発言が時代遅れの記号消費志向に満ちた戯画的な田舎者のそれということをしばしば笑わせてもらった。六月四日の深夜からその翌日にかけてスカイプで初めて会話し、そして六月六日に映画を一緒に観ることとなった。ウッディ・アレンの「夢と犯罪」という映画である。その後、近くのインド料理屋で食事。食事の際も毎度のように頓珍漢なことを言っていた。食後、さらに移動し、カフェ・サンテリアで会話。私はフェイスブックの創業者の一人がゲイで、その人はオバマ大統領の選挙戦略に関わった(つまりクリス・ヒュージのことである)という話題やカウチ・サーフについて、そしてネットの進展とからめてピエール・クロソウスキーの洞察に満ちた本「生きた貨幣」について語った。
そして季節はめぐり、二〇一一年三月十三日、カフェ・サンテリアで再び会うこととなった。サンテリアで五十三歳の呉我愛子と話していると三時ごろ神谷は現れた。愛子は取り乱した様子で、娘のことや諸々の不安感を訴える。神谷はいっそ女三人の一家みなが東京に移住することを
すすめる。私は近代化移行過程の暴力を語る。ドイツ観念論やロマン派、ロシア文学の背景である帝政ロシア末期の動揺、現在進行中のアラブの春。それこそが沖縄に生じているのだ。沖縄の近代はいまや始まった。伝統的権威に縛られない、自由で不安に満ちた意識が続々と生まれているのだ。そんなことを神谷とともに愛子に語ると、愛子はついに「もう、何がなんだかですぅ」と言い、帰る時間となったので、立ち去る。愛子は我々二人におごってくれた。
愛子が帰った後、我々続いて三時間ほど話した。三一一後の日本の未来や世界的な労働者の変容について語っただろうか。人は成長する。出会って、およそ一年。神谷はもはや田舎者ではないような気がした。進行中の激しい変化、アルビン・トフラーの言う〈第三の波〉は陸地を削るすさまじい津波だ。この津波は人々の心身を飲み込む。数多の人が心を病み、破滅し、しばしば自殺する。しかし、状況を見極めた者は津波に乗り、地球上をめぐることだろう。勿論、そのために相当な困難が伴う、津波に砂の城を壊されても
喜んでまた遊び始めるような童子、つまりニーチェ的超人にでもならねばとてもやって行けない。こう言いたくもなろう
「もう、何がなんだかですぅ」
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