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Time will tell

今度は勝手口が

 先日、祖父の夢を見て導かれるように祖父母宅に行った話を記録したが、最近またもや祖父母宅の夢を見た。どうしたんだろう。

 6月は祖父の命日である。亡くなったのは1999年だからもう24年も経っている。その前後くらいだったか、また夢で祖父母宅に私は行くのだ。自転車を勝手口に横付けする。現実にこないだ訪ねた時、もう人手に渡っているのだから、勝手口は鍵がかかっていたのだが、夢では勝手口の上の方にある留め金を外すとドアの鍵が開いた。びっくりしたが、夢でもやはり勝手に入るのははばかり、躊躇していると、玄関の方から老婆が2人話しかけてきた。

 それはかつて保険の外交員として祖父母宅に出入りしていた人の妹と称する人で、実際に妹がいたのかどうかは知らないが、懐かしいと声をかけてくる。外交員の老婆は霊能力者の宜保さんにそっくりで、小さい頃は従兄弟とその老婆に「おばちゃん、目あいてるか」とよく声をかけたものだった。その思い出を話していると、勝手口が騒がしくなっていた。何やら家を見学に来たと思しき中国人の大家族が勝手口を開けて中に入ろうとしていた。

 勝手口のところはかつて洗濯機が置いてあったのだが、夢の中ではテーブルなどの家財道具が積まれている散らかった状態だった。すると、いつの間にか亡くなった祖母が現れて、困り顔で勝手をされるのを咎める様子だったので、私が意を汲んで、「ちょっと今は出てもらえますか」とその大家族をたしなめて外に出てもらうところで目が覚めた。

シティポップ

 どうしてこういう夢を見たのだろうと考えると、なんとなく今回は伏線があったような気がする。先週、コロナで一人、貧民窟にて悶絶していた際、少し頭痛が治った時にどうもテレビの、と言っても、固定のテレビはおかず、NHK➕か夜のTVerだけだが、とにかくテレビの音声は嫌で、音楽を聴くことにした。

 聴いていたのは80年代のシティポップ集だった。この時代に独特の音というか、なんというんでしょう、キラキラしているというか。竹内まりやの「夢の続き」とか大橋純子の「sweet love」とか、転調の感じが「きまぐれオレンジロード」のED的と言うか、昭和から平成にかけての空気感。そのころはまだ中学生前後でバブルがどうとか、その時代を人として受け止め切れるような年齢ではまだなかったけど、聴いているだけで切なくなるというか、郷愁なんだろうか。今の時代の閉塞感、前にも書いたけど、そういう歌が流行っていた頃から30年経って、誰が今のこの国の状況を想像しただろう、とかやっぱり思う。給料は増えず、格差は広がって、家なんて普通の庶民はもう都会には住めないし、税金もあがり、防衛費は増え、子供は減り、世を乱す政治家を選挙で誰も正さない。むしろ、声を上げると寄ってたかって声高にたたく。叩いている人はそんなに現状に満足しているのだろうか。そんな人ばっかりなら、どうしてこの国はこれほどまでに衰退してしまっているのか。

 脱線しました。そういう切ない曲を次々聴いているうちに、次のパッケージが「夜に聴きたい宇多田ヒカル」だった。とうぜん、素晴らしい名曲集で、どなたかがまとめてくださったものなのだろう。その中に「time will tell」が入っていた。

 この歌がリリースされたのは1998年12月とあった。ちょうど祖父が亡くなる半年前。亡くなる直前の入院だったか、その前の入院の時だったか忘れたけど、北区の病院にお見舞いに行く際に車でよく聴いていた。a面の「automatic」が爆発的に売れたわけだけど、私はこの裏面の曲がすごく気に入っていた。曲調というか、しっとりしたところから明るく太陽が差してくるみたいな流れ。そして歌詞も。

 「時間がたてばわかる 明日へのずるい近道はないよ」。まだ10代の作者が作った詩は今この歳になっても共感できる。近道は確かになかった。焦らなくたっていいのは10代だから言えるのかもしれないけど。

 たぶんそれを聴きながらまた熱にうなされて、うつらうつらしていたので、あの祖父が亡くなる前の時期の気持ちが擦り込まれて、祖父母宅の夢を見たのではないかと思っている。前に見に行ってからまた1ヶ月が経ったけど、今度こそ解体されてしまっているのだろうか。

で、また帰阪できず

 というわけで、今週も大阪には戻れなかった。コロナの病み上がりで、発症から5日過ぎたら一応療養明けということで出社もしているけど、まだ喉はごろごろ痰が絡んでいるのが気になった。とはいえ、もう2週間帰ってないので、寂しがっている次男のためにも金曜の夕方から戻るつもりではいた。妻は感染を恐れて嫌がっていたが。

 でも、あの大雨で新幹線が止まってしまった。そうなるとどうしょうもない。まあ乗る前で良かったのかもしれない。会社の人は列車ホテル状態で大変だった人もいるみたいだから。大阪を諦めて、貧民窟に帰る時間はちょうど東京も土砂降り。服も靴も鞄もすべてずぶ濡れになった。パソコンが浸水して壊れるのではないかというくらい。1階だし川も近いし、いざという時どうしたらいいのだろうと流石に心配になって、区の防災アプリを通知オンにした。停電していたところもあったみたい。

 帰れない中、土曜は次男の返却されたテストが惨敗。兄に比べると、算数のキレは確かにないので、あまり無理はさせたくないけど、前回はかなり上の方だったし、妻は怒っていたけど、たった一回の失敗も許されないというのは、互いにとってしんどいと思うし、それで長男をずいぶん追い込んでしまっていたという後悔もある。ただ、やっぱり字が汚いとか、余計なお喋りをするとか、やっぱり慢心と怠惰はあったように思うので、一夜明けて諭す。もう一回気持ちを入れ直すからチャンスをくださいと誓わせる。泣いていた。これでいいんでしょうか。受験勉強ってしなかったらどうなるんでしょう。世の中の多くの人はある時期に集中して、ということが大半なのだろうか。自分も長男もずっとそうだったから、そうではない歩み方がイメージできず、こういう時に困ってしまう。しんどいのは間違いないけど、やらなくて後で未体験の苦労やしんどさに直面したら、やっぱりあの時やらせておけばよかったとおもうのかもしれないし。

 取り止めも無くなってしまったが、流れで大橋純子さんのカバー集を聴きながらこれを書いている。今は「季節の中で」。すばらしいね。歌声もそうだが、曲も歌詞もいい。いい曲は時代を経てもさびない。こないだ、社内の喫茶店でかかっていたふきのとうの「思い出通り雨」も最近ハマっています。店主のおばちゃんが接客しながら鼻歌していた。1978年リリースですって。時代を映す透明感でなぜか泣いてます。


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