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20年ぶりに恩師に再会したら加法定理のカンニングがばれそうになったことを思い出した

教育実習以来

 Bluetoothのキーボードを買ったので、立て続けに連投してみる。どうせ暇だし。風呂も入って、やることといえばSwitchくらいだし。やり出したら夜更かしして生活のリズムがかなり崩れてしまうから、そうなるくらいならこの徒然日記を書いている方がまだマシという判断です。

 先日、高校の時の恩師と偶然再会したわけです。たまたま今住んでいるところの近くで仕事をしておられ、そういう話はこちらに妻子が戻ってくる時に噂は聞いていたのだけれど、もう退職しておられると思っていたので、久しぶりに見た時は驚いた。というより歳を取っておられて最初はわからなかった。

 というのも、最後にあったのは教育実習の時だから、もう20年以上前になる。その時は大学院に行っていて、社会に出るにしても文系はどんな仕事につけるかわからないと思って、教職を遅ればせながら取ろうとしていた。科目は高校地歴と中学社会。地歴は学部の選択科目と多く重なっていたので、博物館実習をオンすれば資格が取れる学芸員と並んで狙い目だった。就職するなら母校にと思っていたので、中高一貫校だと当然、中学社会の免許もいる。これが鬼門で、苦手の民法や経済原論などが必須科目だった。授業は初めのうちこそ出ていたものの、全くついていけず、また面白くも感じず、途中からは誰かにノートを見せてもらって試験を受けたらいいと出席しなくなった。学年末のテストで、ノートを勉強したかどうかはもはや覚えていないが、はっきり覚えているのは、経済原論が5点、民法が0点だったこと。無論、100点満点である。これにより、中学社会は取得できず、母校への就職の道も断たれた。自業自得であるが。

 教育実習はそういう破局を迎える前に確か1学期だったか、母校に世界史を教えに行くことになった。派遣元の教育学部からは「くれぐれも粗相のないように」とずいぶん恩着せがましいことを言われて母校に着いたが、言うてもまだ卒業してから4年くらいしか経っていないので、雰囲気は変わるはずもなく。科目としては本当は二次試験を受けた日本史にしたかったけれど、あいにく指導教諭の担当が世界史とのことで、あまり得意ではない中央アジアのどうのこうのみたいな範囲を教えることになった。

 教えること自体は正直言って苦ではなかった。大学に入ってから2年半、そのときはもうやめていたけど塾講師のバイトをしていたので、そりゃ初めて人前に立つ同じ実習生よりは教えるのには慣れていた。途中で、冒頭の恩師も授業見学に来ていた。実習期間が終わり、お疲れさんも兼ねて近所の定食屋に恩師らと昼飯を食いに行ったのだけれど、恩師がその時言ってくれたのは「もう即戦力ですよ。○○(私の名)が望みさえすれば働けるように動く」と。それはそれはありがたく、もうその場で「お願いします」と言おうと思ったが、就活にも挑戦したいと話して、結局今の仕事に就くことになった。あの時、先生の言葉を信じてその道に進んでいたらどうなっていただろうと思う時もあるが、もしそうしたら、今の家族には出会っていないわけで、その人生は考えられないから、まあこちらでよかったのだと思う。

カンニング

 その恩師に先月、教育実習以来の再会を果たしたと言うわけ。出くわした時、初めは分からなくて通り過ぎた。でも、待てよと戻ってよくみると、やっぱり先生ではないかと思い直して声をかけた。やっぱり先生だった。「白髪が増えていたので分かりませんでした」と思い切り失礼なことを言ったが、近況についてひとしきり話した。年賀状のやりとりは最近は返事は途絶えていたけど、こちらからはずっと出していたので、私の仕事のこともよく覚えておられ、激励していただいた。

 そういう昔話をしている最中、冒頭の加法定理を突然思い出した。確か高1の時だったと思うが、この加法定理が何べん紙に書いても覚えられなかった。しかし、その時の定期テストは、この公式を覚えていなければ解けるはずもなく、テスト当日になっても演習問題を解くどころか、この公式を覚えることに必死で、しかも必死の割に途中までしかどうしても覚えられず途方に暮れていた。

 そしてやってしまった。テストが始まる直前に、自分の机の上に鉛筆でこの公式を一気に書き込み、筆箱で蓋をしたのだ。正直言って、カンニングなんて今までしたことがなかったから、もう緊張のあまり、気を失いそうだった。しかし、やらなければ即死する。そう言い聞かせてテストに臨んだ。

 するとどうだろう。担任でテスト監督をしていたその恩師が、なんと私の席の隣にずっと立ち続けるわけだ。そして、教室全体に呼びかけるように「ずるいことをしてテストをやっても、何の力にもならんわけです」と。おのれ、国語の教師なのになぜ数学のテストでこのように悪事を見切るのかと。しかし、私はその間近で巨大すぎるプレッシャーに耐え切れず、結局、必死で書いた加法定理の殴り書きを見ること叶わず、テストは終了した。結果はこれも覚えていないが、赤点だったわけではないから、覚えが悪いなりにどうにかあがいたのだろう。しかし、今にして思えば、50人近く生徒がいるクラスで、どうして私が不正をしようとしていることがわかったのだろう。本当はわかっていなかったのか。いつか近くにおられるうちに聞いてみたいとは思うが、まあ覚えてないだろうね。

同窓会費を初めて払った月食の夜

 高校といえば、私がこの春に東京に転勤することになった時、高校時代の友人の一人に「転勤します」と久しぶりにメールを送った。その彼は高校時代、とてもよく勉強ができて、加法定理を覚えられずに不正に走る愚かな私は、テストが始まる前などは、チャート式を片手によく勉強を教えてもらったものだった。都会のいい大学を出て、当然ながら立派な仕事に就かれている。私の結婚式にも来てくれ、年賀状のやりとり程度ではあるが細い交流は続いていた。そういう縁もあって転勤をお知らせしたのだが、赴任後に早速、彼からコンタクトがあった。それもなぜか携帯ではなく、会社の代表に。番号知ってるやろ、と思いつつ、連絡を打ち返しこれまた会うのは、結婚式の後、彼の贔屓のアーティストが当時、私たちが住んでいた県でライブを行い、台風か何かで交通が乱れて東京に戻れなくなったかなんかでうちに泊めて以来。だからこれも20年近くぶりの再会だった。

 指定された有楽町の居酒屋で盃を傾けた。時間を忘れて語り合った。いきのいいイカもいただきました。食べる時、まだヒクヒクしていて、舌に張り付いてきました。ちょっと怖かった。

 4時間くらい喋って、疲れ果てて、案の定、当時住んでいた駅を通り過ぎて埼玉まで行ってしまい、ぎりぎり終電で帰宅できた。その彼に、恩師と再会したことをLINEすると「縁だね」と。そう、縁。

 そんなことを思い出しながら、週明けに東京に戻ってきた。実家に届いていた高校の同窓会報。中に同窓会費の振込依頼書が入っている。毎年ネグってきたが、今年はそういう奇縁もあり、今日初めて3000円、郵便局で払って参りました。払ってなくても今まで毎年欠かさず実家に送ってきてもらっていたので、新しい住所の通知もかねて支払い。これもまた縁なのでしょう。

 今日は非番だったが、新宿で買い物した後、年末調整を提出しに出社した。本当はそのまま帰ってもよかったが、いろいろ停滞している仕事を複数抱えており、それをちょっとでも動かしておこうかとやっているとあっという間に19時半。そう言えば、今夜は皆既月食だったなと思いつつ、外に出ると月は赤黒く光を落としていた。天候晴れ。

 最寄駅で地下鉄をおり、地上に出ると時間はまさに最大食。通りではあちこちでみんなスマホを上に向けて写真を撮っていた。意外と知っているんですね、今日のこの現象を。私は小学校の時、天文クラブだったくらいだから、人よりは結構テンションが上がっていたが、今夜は観測条件が良かったから、かなりの人が月を見上げていた。私も思わずパシャリ。

 最大ズームにしているから、なんともいえぬ駄作ではあるが、赤銅色とはよく言ったもので、見事に赤くなっている。なんだか素敵。

 なんで今日はこんなにnoteを2本も連投してしまったのだろう。キーボードを買って嬉しくなったのか。まあいいけど。いろんなことを経験して、いろんなことがあって、毎日を慎ましく過ごしている。



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