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メガケーキ

高島屋にて

会食恐怖の話を直近で書いたばっかりなのになんだけど、こないだ高島屋の喫茶で時間つぶしをしているとき、巨大なショートケーキに遭遇した。ドリンクとセットで1900円したので、どんなんよとおもって来たのが写真のやつ。でかすぎ。直前に食べたパスタが少々お上品だったことがあり、少し甘いものでもと思って入って頼んだらこれ。美味しかったけどさすがに残した。

6月になった。毎月投稿のバッジがほしいわけではないけど、続いていると少し習慣になる。こういうの、仕事とか勉強のモチベ維持に使えそうかも。

6月ってどんな月だろうと思うと、妻の誕生日はあるとして、ふと思い出したのは母方の祖父の命日。今年でそう言えば25年の節目と言えば節目。25年前のあの日は確か大学に朝から行ってた。その少し前に確か僕と外出、どこだったかは忘れたけど、外出する予定だった日の早朝、祖父はトイレに立ってそのまま倒れてしまった。面している風呂場のドアを押し倒して、仰向けに倒れた。祖母が気付いて、動転して近くの叔父を呼び、救急車で運ばれた。目を開けたまま、結局一度も意識は戻らなかった。開きっぱなしの目が乾くのか、意識がないのに涙が流れてくるので、お見舞いにいったとき、ガーゼで祖父の涙を吹きながら僕も涙を流した。

数日して医師から、もう回復の見込みがないので家族で決めてくれと言われて、いろいろな維持の管を抜くと決めたのが前夜。そこから緩やかにいろんな数値が下がっていったので、1日には亡くなるだろうというのはわかって大学に行った。あれ、何の授業だったかな?4回生で就活せずに大学院に行くことは決めていて、教職に必要な科目をとろうと思っていたから、確か教育学部の何かを受けていたときだったのかな。家から携帯が鳴って、そこから大阪に戻ることになった。遺体はもう病院から祖父宅に移っているというので、そちらに直で向かった。京都から戻る電車で何考えてたんだろう。覚えてないけど当時の心境に触れたい。

身内の死はその5年前に父方の祖父を送っていたけど、涙が止まらなかった。葬儀社が作った故人のビデオがまたよくてね。生前の思い出写真をちりばめながら、最後に祖父が極楽浄土みたいな光差す方向へ歩いていくみたいなエンディングで、初七日とかいろんな法要のときに出来上がったビデオを見ては、親族一同みんな泣いた。祖父が親代わりをつとめていた母のいとこも、アメリカにいて死に目には会えなかったけど、後日お参りに来て、そのビデオを見て、「おじちゃん」と泣いていた。

あれから25年。きみまろみたいだけど、いろいろあったなと。不思議ですね、人生は。あのビデオ、もう一度見てみたいけど、もう祖父母の家も去年に買い手がついて、たぶんもう解体されて別の家がたってるんだろうな。だからもうビデオもないんだろうな。祖母がまだ生きているときに、リビングのテレビの下に入っていたビデオをたまに祖母と見て泣いていたのが懐かしい。その祖母もそれから20年近く長く生きて亡くなった。去年、解体前に祖父母の家を見に行って、その前で写真を撮っておいて本当によかったなと思う。

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