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泣きながら

 行けないまま辞めてしまった終業式。先生からみんなにお話があったらしい。何があってうちの子が学校に行けなくなって、ここを去らなければいけなかったかを。先生も泣いてみんなも泣いて、謝りたいと。

 泣くことは一種のカタルシスで、自分たちへのガス抜きでもあるよなと思った。泣くくらいならと思うし、取り返しのつかないことになってから悔やんでももう遅いということもある。

 いつも気丈だった管理職も、このことへの報告ではずっと泣いておられた。そりゃ、普通に考えたらむしろ、大人からしたらとんでもなく扱いやすかった子供がこういう形で突然いなくなるわけやから。会ってごめんねと言いたいと言っても、それすら許されなかったわけやから。私たち、というよりもうちの子がもう心を完全に閉ざしてしまったやけやから。

 私だって、報告に臨場していた子の親から連絡もあったにもかかわらず、まだ本当のことじゃなくて、単に家庭の事情とかしか言ってないんじゃないかとか、泣きながら連絡してきたのも、決別の手続き後も私が訴えないようにアフターケアしてるだけなんじゃないかとか疑ってしまっている。

 何を信じていいか、正直分からないし。あの子達が本当に悔い改める出来事になってくれたらせめて救われるけど、答えはこれから分かるだろうから。

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