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薄毛治療薬は有効である

沙悟浄

 今日も非番だったが、朝からオンライン会議が2件。長い。そして学校の先生への相談。いろいろ勝手の解らぬことも多く、子供が気持ちよく通えるためにはそれも必要。

 で、夕方から懸案だった皮膚科に行く。なぜか。それはハゲの薬をもらいに行くためである。ハゲの薬を飲んでいることは家族以外、誰も知らぬ。友人にも会社にも恐らく誰にも言ってない。今、この場で初めて世に明かす(大げさ)。

 事の発端はいつくらいだろう。まあ数年前だろうか。家系的には父方が父も亡き祖父もずるっぱげだったので、当然といえば当然だが、学生の頃は髪の量が多すぎてすかないとウォーズマンみたいにヘルメットヘアになるくらい毛量の多さに困っていた。

 それが数年前、いや10年ちょっと前から、白髪が増えるのとともに頭頂部がき始めていた。今でもスマホにはその頃、妻に撮られた頭頂部の写真があるが、それは今にして思えばまだマシな方だった。手入れをしろと言われていたが、これならまだ大丈夫と思っているうちにそれは来ていた。

 職場で忘年会をした時に、幹事をしたということもあって、カラオケを歌わされたことがあった。吉川晃司の「キスに撃たれて眠りたい」を熱唱したのだが、先輩があまりの熱唱ぶりに動画を撮ってくれていた。それを後から見せてもらった時に、歌っていた時は気づかなかったのだけれど、若手社員の合いの手の声が入っていた。「ハーゲ、ハーゲ」と。どこがやねんとキレそうになったが、動画の中で必死に歌っている私の頭頂部を見て絶句した。沙悟浄だった。

 症状は思っていた以上に悪化していた。頭頂部なんて普段、合わせ鏡でもしない限り見えないから、兆候を指摘されていたとはいえ、そんなに意識していなかった。改めて家で合わせ鏡で見てみると、蛍光灯の加減もあるのだろうが、ひどかった。紛れもないハゲだった。

 悶々としていたある日、当時住んでいたところの駅前で妻と美容室に行った。順番を待っていると、そこに出入りしているという謎の営業マンが話しかけてきた。頭髪でお悩みならいいのがあると。それは豚の胎盤から抽出したというプラセンタなる物質が入ったシャンプーで、これを使うと、たちどころに毛根が蘇り、ふさふさが戻るのだという。営業トークの巧みさもあったが、藁をもすがる思いで、安くはないそのシャンプーを定期購入し、1年半くらいだろうか、頭に擦り付けていた。もちろん、リアップも恥を偲んで購入し、硬めのブラシでパシパシ頭を叩いていた。

 結果はどうか?改善どころか、悪化し、遠目にも沙悟浄化は進行していた。当時、職場の野球大会に長男と参加し、球場でキャッチボールをしている姿を私のスマホで同僚が撮ってくれていたが、頭頂部にはくっきりと真ん中が抜けた天使の輪が浮かび上がっていたのである。画像も残っているが、流石にここにあげることは控える。「プラセンタ、効かんではないか!」残っていたシャンプーのボトルはゴミ箱に投げ捨てた。

皮膚科へ

 さあ、どうする?このまま手をこまねいていては、早晩、父のようなスキンヘッドになってしまう。私以上に妻が焦っていた。このままでは恥ずかしくて、子供の参観に行ってもらえないと。

 そこでいろいろ調べると、「ザガーロ」なる内服薬があり、それが効果があるといったブログを多数見つけてきた。保険適用外なので自費ではあるが、リアップのように薬局で勝手に買えるものではなく、医師の診察が必要ではあった。医師に見てもらうのは恥ずかしくて最初は拒絶していたが、妻のあまりの迫力に、見つけてくれた同じ市内でその薬を取り扱っているという内科を訪ねた。

 そこは団地街で親子二代続けて医院を営む町医者である。待合室には地元の年寄りだけで、若者は一人もいなかったので安心した。順番が来て、先生に呼ばれ、頭頂部見せなさいと言われ、ひとしきり触られた。「3期あるうちの2期まで来てますな」と。もうやばいじゃないですか。吐きそうになっていると、「薬が必ず効くということは約束できませんが、効けば1期くらいまで戻る可能性はあります」と。ええ、ええ、飲みますとも。もはや、私に残された道はそれしかなかった。

 お会計。1万円なり。町医者の会計ではありえぬ高額請求に、待合室で弛緩していた年寄りたちにどよめきが広がった。クソが。財布から1万円札を取り出し、逃げるように飛び出した。それから1日1錠。1ヶ月経ってもう一度もらいに行く時、今度は診察なしでもらえたが、病院なので受付のおばちゃんが機械的に「お変わりありませんか」とのたまう。ああ、そりゃ1ヶ月では変わるわけないやろ、と心の中で毒づきながら、「へへへ、まあ」と卑屈な笑いを浮かべて、また1万円を払い、大事に薬袋を受け取り逃げ帰っていた。

 高校の時は深夜ラジオのサイキック青年団という番組が大好きで、誰がズラや誰がハゲとかいう話題は大好物だった。因果応報。まさか自分がその立場になるとは。会社でも、ちょっとしたハゲの話題は、以前ならノリノリで乗っかっていたが、その頃はそっと席を立って話の輪から遠ざかっていた。

 薬をどれくらい飲み続けた頃だろうか。少しずつ少しずつ症状は改善していった。それも常に合わせ鏡で見るわけではないので、妻のマシになっている、という言葉も慰めるために言うてるのやろうと話半分で聞いていたが、改善は本当だった。薬代も途中でジェネリックになり、8000円くらいとお安くなった。今では油断して、2、3日に一回位の服用にして薬代をケチっているが、それでも頭頂部はちょっとつむじがくっきりしている人くらいにはなっている。すくなくとも沙悟浄と言われることはないはず。

 東京転勤にあたって、その通い慣れた町医者に行けなくなるのが一番気掛かりだった。薬をどこで手に入れるのか。最後の処方を受けた時に、郵送できるか頼んだが、それは無理と断られた。では、東京でまた見つけて、診察を受けないといけないのかと。いくらこましになっているとはいえ、またいちからやりとりするのが嫌だと思っていたが、妻にまた強く言われ、当時住んでいたところの近所でその薬の取り扱いがあるという皮膚科にいった。そこでも、一回だけ診察を受けたが、先生は「まあ、効果が出ているということなら、続けましょうか」ということで、処方箋を出してくれた。

 今はまた引っ越してしまったけれど、今日はそこまでまたもらいにいったというわけです。帰りは駅の下のトンカツやで一人で食って帰りました。茨城の震度5強の地震で、そこらも2くらい揺れて、ご飯を待っている間かなりビビったけれど、しっかり食って帰りましたとさ。

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