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カイシャ

クッションを買いに

 週末に家族宅に帰らなかったのは3ヶ月ぶりくらいだろうか。ここ最近は週末が休みだったので毎週のように戻っていたが、今週は違うシフトになったのでこっちに残ることになった。

 残ったら残ったでいろいろやることはある。在宅をするにしても、椅子の座布団が薄くずっとクッションが欲しかったので、一駅歩いてホームセンターまで買いに行った。柔らかいお尻に優しいものをイメージしていたが、低反発の結構硬いものが主流。特に悩むことでもないので、汚れが目立たなさそうな色のものを買った。よく食べ物をこぼすので。小学1年生の1学期の通知表で、担任から「お弁当をよくこぼします」とわざわざ書かれた。2学期には「だいぶこぼさなくなりました」とあり、今、親の立場から思い返すと、どんだけ弁当をこぼしていたのだろうと思うが、大人になってもあまり直っていないところをかんがえると、先生は慧眼だったということか。

 住んでいるところはおしゃれカフェが多い街を標榜しているので、土日ともなるとそれなりに行列している。美味しそうなパン屋も多い。お寺や墓も多く、見たところわざわざ観光するような名所も多くないのに、それなりに人通りが多くなる。住み心地は悪くないけど、休日に来るほどかなとも思うが、まあそれぞれなのでしょう。

 帰り道、昼食に前から買ってみたかった弁当を買ってみた。気にはなっていたけど、いつも行列しているし、Twitterで写真とか見るとかなりおいしそうだったので、この行列は分かる気がするなと思っていた。今日はクッションを買う前に駅前のモスかフレッシュネスで済ますかと思っていたけど、モスはえらい並んでいたし、フレッシュネスは窓にビニールが一面かけられ、「ホタテバーガー」とやらにひかれたが、やっているかどうかわからなかったので、この弁当を思い出した。Twitterを見るとちょうど「行列がいま途切れました」とのこと。天啓と思い向かうと、確かに誰もおらず、しかも4種類ちゃんと残っていた。

 迷った末に、ヘッダーの写真にした「ポキ弁当」を選択。海鮮でもよかったのだが、「ポキってなんですか」と聞いてみると、具に味付けをいろいろしたものだというのでそちらを試してみることに。帰宅して食べてみると、

美味しい。

 魚も肉厚で、味もピリ辛とかあって飽きさせない。苦手のキュウリが混ぜ込まれていたけど、全然気にならないくらい。これで1000円はお値打ち。調べてみると、もともとは某企業内の専属のお弁当屋さんだったそうだが、コロナでそこを出ざるを得なくなり、閉店寸前からここにお弁当屋を開き、SNSでバズって行列のできる店になったのだとか。みんな曲折はあられるのでしょうが、こういう形で巻き返されたのは素晴らしいと思う。しかし、某企業ってどこなんでしょう。

うちの会社の食堂は、おばちゃんたちみんな頑張って安い定価で提供してくれているけど、最近、物価高対策で油が悪くなったのか、食べると必ず胃もたれするようになってしまって、食べるのがちょっと怖い。食堂に罪はない。悪いのは国ですよ。

物思い

 そうやって独りになると、当然考えなくていいことまで考えてしまいますわな。それもいい妄想ではなく、悪い方に。

 最近、また同期が辞めることになった。最近は辞める人が、というか辞めざるを得なくなった人が加速しているから、もう珍しいことではないのだけれど、彼とは最近まで部署を跨いでいっしょに新しい仕事をしていたので驚いた。メールしてみると、失業保険がある間に自分なりのビジネスを形にするために勉強をするのだという。

 思えば、わたしより半年遅れて入ってきた彼は、なかなか味のある人物だった。私生活でだらしない部分もあったけれど、本業についてはとてもセンスを感じさせる仕事ぶりで、その才能をうらやましく思ったものだ。わたしが先に転勤になってからは20年近く、特に連絡を取ることもなかったが、ここさいきんは何かの研修で一緒になったり、それこそこちらのプロジェクトの一端を担ってもらったりということでやりとりが復活していた。歳は同じだけど、半年差を尊重して彼はいつもわたしに敬語を使ってくれていた。その彼が辞める。人が減り続ける波がいよいよこんな身近なところまで来たのかという印象。もっとも彼の場合は辞めざるを得ないというのではなく、自分から次を創るための、という意味ではまだポジティブなのだろうが。

 20年前、彼と一緒に仕事をしていたころ、よく辞めたくなっていたなと思い出した。望んで入った会社だったが、自分の実力が追いつかず、結果もなかなか出せない中で、過酷勤務にかなり疲弊していた。自転車での外回りの途中で、もう何もかもが嫌になり、登呂遺跡の公園のベンチに座って、大学時代の友達に「辞めたい」とこぼす電話をかけたものだ。その彼も、もともとは研究者の道を志していたが、いろいろあって公務員を目指す途上だったので、「仕事できているだけまだ恵まれている」と𠮟咤激励された。

 転勤する前にはそれなりの自信を身につけていたが、次の任地でまた壁に。上司と合わず、結果もまた出なくなり、さらに上の上司からは喧嘩両成敗のような沙汰を下されて、さらに僻地へ回された。ここの上司もかなり人間的に問題がある人で、2年間、今からすれば完全にパワハラでアウトなことをもう毎日のようにされた。先日、社内の連絡で訃報を見た時は「天誅」と思った。死んだ人の事を悪く言うもんじゃないよ、と言われそうだが、ほかにも被害者がいて、全く同じようなことをされていたので、やはりこれは天誅なのだと思ってもバチは当たらないはず。

 この僻地でもいちど、辞めようと思った。ちょうどリーマンショックの時で、どこの会社もそうだったかもしれないけど、業績悪化で賞与が大きくカットされることになった。そのころはまだ長男も小さかったし、持ち家もなかったので、別にそのことで直ちに生活が困るわけではなかったが、前の任地からもう何年もパワハラで押さえつけられてきたものに火が付くような形となり、教員採用試験の資料まで取り寄せていた。結局、教員も当時は倍率が高く、辞めても受かる当てもなかったことに怖気付いて、転職の動きはやめてしまった。

 そこを出た後は、自分の会社人生をバイオリズムにするなら、右肩上がりだったのだろう。次の任地では面白いように結果が出た。良い上司に恵まれたこともあったのだろうが、狙った仕事がほぼ全て当たった。自分にそういう適性があったのかと驚くくらい。その実績をもって更なる飛躍を、というわけにはいかなかったが、その次の部署でも順調に進んでいき、今に至る。

 自分の中では順調だっただけに、会社が加速度的に退潮する中でも、そのことに対する危機感をなかなか捉え切れないでいた。というより、わかっているけど、個人としての仕事の充実感に満たされていたというべきか。いま、同期の彼をはじめとして、沈没船から飛び降りるかのように辞める人が出続けている。救命胴衣をつけている人、泳ぎに自信がある人、上陸する場所をはじめから見つけている人、何もできずに海に放り込まれた人。さまざまだと思う。

 船の行先は分からないし、航行を続けることができるのかも定かではないけれど、残ることを選んだ乗組員としては、沈まないように、どこに穴が空いているのか、進路上に障害物はないのか、波高い海のどこに細い針路があるのか。そういうことを自分ごととして考えなければならないし、もう乗っているだけで誰かが決めてくれるという歳でもないということを実感しないといけないなと思った次第。

 休日に独りでいると、こういうどうしようもないことを延々と考えてしまうので疲れる。改悪されたと悪評高いAmazonプライムミュージックが、unlimitedに入ると、途端に万能感あるアプリになったので、古いサザンの曲でも聴きながら午後は仕事の続きをする。


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