(三十九)宮城道雄作曲の『水の変態』に結び付いている和歌を味わう

宮城道雄は水の変態という琴曲を作曲した。これについては、『世界百科大辞典 第2版』「水の変態」から解説を引用する。
1909年2月ころに宮城道雄が作曲した新傾向の箏曲。韓国の仁川に在住中,14歳のときの処女作。
若くして師を離れた宮城は既習曲の反復に満足せず,早くから作曲を志し,たまたま弟が朗読する小学読本の〈水の変態〉という一節を聞いて興をそそられ,文中の7首の短歌(霧・雲・雨・雪・霰(あられ)・露・霜の歌)を歌詞として,手事物形式(手事)により作曲した。
 気象変化を詠んだ歌詞内容に即した情景描写(とくに雨と霰の部分の手事が有名)に優れた曲で,処女作ながら宮城の傑作の一つに数えられている。
https://kotobank.jp/word/水の変態-690436
 
次に、その7首の短歌を掲載する。この歌詞の作者は大和田健樹(たけき)と言われ、彼は鉄道唱歌を作詞したことで知られている。
前唄
(霧)小(お)山田に 霧の中道 踏み分けて 人来(く)と見しは 案山子なりけり
(雲)明け渡る 高嶺の雲に たなびかれ 光消え行く 弓張りの月
中唄
(雨)今日の雨に 萩も尾花も うなだれて うれひ顔なる 秋の夕べ
(雪)更くる夜の軒の雫のたえゆくは 雨もや雪に 降りかはるらん
(霰)むら雲の 絶え間に星の 見えながら 夜行く袖に 散る霰かな
後唄
(露)白玉の 秋の木の葉に 宿れりと 見ゆるは露の はかるなりけり
(霜)朝日射す かたへは消えて 軒高き 家かげに残る 霜の寒けさ
 
1首ずつ鑑賞していこう。
(霧)小山田に霧の中道 踏み分けて 人来(く)と見しは 案山子なりけり
小山田とは山間(あい)にある田んぼを言う。霧の中、山間の道を上って行くと、人がこっちへ歩いて来るのが見える。近くまで来ると、案山子が立っているのであった。こちらが案山子に近づいていたのであって、人が歩いて来たのではない事に初めて気が付いた。
(雲)明け渡る 高嶺の雲に たなびかれ 光消え行く 弓張りの月
あたり一面夜が明けていく。高い峰の上にたなびく雲に月が隠れていく。三日月の光がうすれ消えゆくのを見る事はまことに名残惜しい。
(雨)今日の雨に 萩も尾花も うなだれて うれひ顔なる 秋の夕べ
今日は雨が降り続いている。その雨に萩も尾花もうなだれて悲しそうな顔をしている。秋の夕暮れの寂しい風景であることよ。
(雪)更くる夜の 軒の雫の たえゆくは 雨もや雪に 降りかはるらん
更けていく夜に、軒に掛る雫が絶えたのは、雨が雪に振り替わったからであろうか
(霰)むら雲の 絶え間に星の 見えながら 夜行く袖に 散る霰かな
夜、群がる雲の切れ間から星が見える。なのに、なぜ霰が降ってきて袖の中に入るのでしょう。
(露)白玉の 秋の木の葉に 宿れりと 見ゆるは露の はかるなりけり
秋の季節に、白玉が木の葉に宿っていると見えるのは、露がその様に見せかけているからであった。只の露が白玉に見えるほど露が美しくみえるとはね。
(霜)朝日射す かたへは消えて 軒高き 家かげに残る 霜の寒けさ
朝日の当たる所は、霜が消えているが、高い軒の影になる所は、霜が残っているね。日当たって温かいようにみえても、まだまだ寒いことである。
 
これ等の歌は、自然現象の妙をうたったものと解釈してよいだろう。特に、解釈の難しい処の無い歌である。
 
題名の『水の変態』から、私は海川の水が雲になり、それが雨・霧、或いは雪・霰になったり、或いは霜・露になったりする内容を想像したが、そうではなかった。七つの歌の間には、関連性が感じられないからだ。
箏による「水の変態」演奏を聞きたい方はYouTubeで「水の変態」を検索してください。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?