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定期的にやってくる、やり場のない悲しみ


こんばんは。tabikoです。
復職して1週間と少しが経ちました。ここまで割と順調に来ていたのですが、今日の夕方くらいからまたメンタルの調子が落ち始めていま、この記事を書いています。
今回は決して明るい話ではないのですが、よろしければお付き合いください。


やり場のない悲しみ

私は、昔から頻繁に、形容しがたい【悲しみ】が襲ってきます。
「どうしたの?」「大丈夫?」と声をかけてもらうこともありますが、自分では悲しい理由は分からないし、正直、大丈夫でもないです。
【悲しみ】に襲われたときは、自然と涙が溢れてきて、気づくとシクシクと泣いていることもあります。
この【悲しみ】は何が原因なのか?
これは先述したとおり詳しくは分からないのですが、おそらく、日常の【ちょっとしたネガティブ】が積み重なって大きな錘になっているのかな、と思います。
そして、たぶん涙が流れるときは、結構限界に近かったりすると思うんです。
私は0から100(限界)まで行くスピードが他人より速いのかもしれません。そして、よくないこととは思いつつ「あなたは評価されているけど、自分はだめだ」と、本人にぽろっとこぼしてしまうのです。
こんなこと、言われた本人が一番刺さると分かっていながら。

「他人」ではなく「過去の自分」と勝負しろと人は言うけれど

ご支援いただいている方ほぼ全員と言っていいほど、
「みんなスタートが違うんだから、差は出て当然。他人とではなく、自分と比べたほうがいい」と仰ってくださいます。
自分でもそっちのほうがいいのは分かっています。でも、できないんです。
具体的に言うと、他人が評価されている場面を目の当たりにしたとき、素直に「おめでとう」「さすがだね」と思えないのです。口では言えますが。
自分でも捻くれていると思います。
「なんでこの人は評価されているのに、自分は評価されないんだろう」
こんな思いが強く出てしまいます。承認欲求が大きめなのかもしれませんね。
私も素直に他人の成長を喜べる人間になりたかったです。
どうして【比較】という行為から抜け出せないのか、自分で自分を責めるばかりです。

29年間背負ってきたものは、そう簡単に手放せない

もともと私は子どもの頃から、ネガティブ思考が強かったと思います。
何かトラブルがあるとすぐ「死んでやる」と騒いだり、自分を追い詰めたり。
そんな不安定な私でしたが、高校受験を控えた(確か)中学3年生の頃、父を自死で亡くしました。次の年には、祖父も自死しました。
二人とも亡くなったときはしばらく実感がなく、時間が経ってからとてつもない寂しさや悲しさに襲われ、そしてまた時間が経つと「こんなことを乗り越えられたんだ。だから自分はやっていける」と、逆に自信がついてポジティブになった気さえしました。
でも、最近思うのですが、やはり生まれ持ったものは簡単には手放せません。自分の脳は「変わった」と思っている(正しくは、思い込ませている)のですが、心は置いていかれたまま。
私は【29年間】と数字を出しましたが、これは生まれて1日の人だろうが生まれて100年の人だろうが、簡単に手放せないのは同じだと思います。
よく「マインドチェンジが大事」と言いますし、自分にも言い聞かせていますが、
簡単にはチェンジできないのが現実だと思います。

なんだかんだ言っても、明日はやってくる

こういうとき、私はネットで【気分 上げかた】とか【ストレス 発散方法】だったりのワードで検索をします。そうすると、出てくる対処法は、
・お風呂に浸かる
・思いっきり泣く
・歌う
・趣味に没頭する
などです。
今日は、お風呂に浸かりましたし、歌いながら踊ったり、日記にストレスのもとを書き出してみたりしました。思いっきり泣いているかといえば微妙なラインですが、今も半分泣きながらこの記事を書いています。
つまり、俗に言われる【ストレス解消法】は、私にはあまり効果がないみたいです。これも「どうせやっても意味ないでしょ」と、捻くれているからかもしれないですね。

こういうときに私は、ただひたすら、時間が過ぎるのを待ちます。
耐えるといいますか、大雨が通り過ぎるのを雨宿りして待つような。
どうして時間が過ぎるのを待つのかというと、私が放っておいても時間は進んで、日にちが変わって、明日が来るからです。
これには「時間が経てば悲しみも薄れるだろう」という前向きな気持ちもありますし「為す術がないから、今は堪えるしかない」と、若干諦めている部分もあります。
実際、時間が経つとどうでもよくなる場合もありますし、時間が経っても、いつまでも思い出しては悲しくなってしまう場合もあります。
でも、それはもう自分が背負ったものなのだと、受け入れるしかないのかもしれないと私は思っています。
人生は山あり谷ありだと思っています。
底まで落ちれば上がるし、天井まで昇れば下がる。どんな人にも、起伏はあるはずです。
そんな中で、私は「今までの人生不幸ばかりだった。これからもきっと不幸だろう」とか「この幸せはきっとすぐに崩れる」と思ってしまうのです。
できるならば、私もこの思考とはお別れしたいですが、先ほども述べたとおり、自分が背負ったものなので。

楽しい・嬉しい出来事が本当にひとつもないかというと、嘘になります。
もちろん日常で幸せを感じることもあります。
ただ、幸せを感じたときの充足感より、悲しみに襲われたときの絶望感のほうが強いのです。
なんだかうまく締められませんが、同じようなことを感じているかもしれない方に届いて「ひとりじゃないよ」と伝えられればなあ。と思い、今回は記事を書きました。
今回も長くなってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

明日は少しでも幸せを感じることができますように。

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