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おばあちゃんへの手紙14-6


毎日毎日、
日々の営みを淡々とひたむきに
生きている人たちも、

人生というお遍路道を歩いているのと
同じなのだと。

不平不満を言わずに
人々が黙々と日常を生きる姿に仏を見るのです。

拝みたくなるのです。


日常を生きる人々が、
白衣を着てお遍路をする人々に感じるように、

私も日常を懸命に生きる人々の無垢な姿から
勇気と生きる力をいただくのです。


灯として照らされるのです。

気づくと、
いつも遠くから手を合わせています。

ありがとう、ありがとう、と
感謝の気持ちがなぜだか溢れてくるのです。

不思議です。

やはり、
みんなそのままで仏なのだと、実感します。」


私は返す言葉がなかった。


私の拙い言葉で、
有木さんの話を汚したくない、
そんな気持ちが私を無言にした。


圧倒的な静寂が四方に染み渡る。


身じろぎもせず、
そのひときわ濃厚な神妙の感に身を委ねる。


有木さんは相変わらず、
目を細めながら、
まばゆい青空を見つめていた。


ふいに高知の桂浜で見た、
坂本龍馬の大きな立像を思い出した。

凛として、威風を備え、
それでいてどこか優しい包容力を感じさせる。

そんな雰囲気がそっくりだった。

焼けるような暑さのさの中、
岩9や木々の間をすり抜けてきた一陣の風が
涼を運んでくる。


心地よいひとときだった。



すると、それまで私の隣で
じっと話を聞いていた勇一が
ふいに大きく手を回して深呼吸を始めた。



「どうしたんだい?」と私が尋ねると、


「心の隙間、余白を作ってるんだ。
おじいちゃんに教わった。」と、
意味深な答えが返ってきた。


「深呼吸して心に十分なスペースを作ると、
いろんなものが優しく見えてくるんだ。」


キッパリと言い切る勇一に
有木さんも「ほう…」と感嘆をもらす。



「うちのおじいちゃんも言ってたよ。

自分の願いばかりみんなで祈ってたら、
みんなの願いを叶えたいと思っているお地蔵様が
あっという間に
願いの縄でぐるぐる巻きになっちゃう。

それはとっても可哀想な姿なんだ。」


「自宅の近くに縛られ地蔵尊がありまして…」
私が少し解説を入れると、

有木さんは微笑みながら手のひらで、
そっと私を制して勇一に話の先をすすめた。


勇一は、
膝を折り、真摯に話を聞こうとしてくれる
有木さんの姿勢に気をよくしたのか、
嬉しそうに話し始めた。


「でも、おじいちゃんはこうも言ってたんだ。

その願いの縄にがんじがらめにされた姿は、
願い続ける自分たちの姿でもあるんだって。
お地蔵様が、自分の苦しむ姿で
それを見せてくれてるんだって。

願いを簡単に持つことは、
自分を苦しめる元ですよって。

じゃあ、どうすればいいんだろう
と悩んでいたら、
おじいちゃんはコツを教えてくれた。」

有木さんは大きく頷きながら
勇一を見つめ続けている。


「願いを祈る時、
結果を期待しないんだって。

結果はどうなるかわからないけど、
今そういう気持ちですよ
って報告するような感じだって。

今日はこんなことがあって、
こういう気持ちだった。
こんなことがあって、
こうなってほしいと思った。
だから頑張ってますって。

心の仏様にお喋りするように報告するんだ。

僕が学校から帰って
おじいちゃんに今日こんなことがあったよ
って話すと、

おじいちゃんとっても嬉しいらしいんだけど、
そんな感じで心の中の仏様も
とっても嬉しいんだよ。きっと。

だって心の中の仏様が縛られないということは、
自分の心も縛られない。

仏様の心と一つになる方法
みたいなものだよね。」



勇一はおじいちゃん子で
私の父とよく散歩に出かけていたが、
そんなことを教わっていたとは、
驚きであった。


そして何より喜びである。


私は父の炯眼というほかない洞察を

屈託のない言葉で話す勇一の言葉に、

並々ならぬ情感に打たれつつ、
なかば陶然として聞き入っていた。

それは四国霊場巡拝119回を誇る
有木さんも同様であったらしく、
うっとりと勇一を見つめている。


「だから思ったんだ。」

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