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20代に求められるパラダイムシフト~もがきと成長加速度~

ご無沙汰しておりますLEO(@Leo__dents_inci)です。

今年一年間のテーマが「拡大」ということもあり、今までの社会人生活とは打つ手を変えて非常に幅広い交友関係の中で経験させて頂いています。

在宅緩和ケアは今まで通り仕事で関わり、医療政策はプライベートの時間で存分に活動して、友人と音声配信も始め、業界を越境した共通項や相違点を再考することも多く、ワークアズライフのスタイルで日々幅が広がっています。

自分の人生の中で20代としての残された時間も短くなってきており、一つの大きな節目を迎えていると感じています。

20代の10年間は非常に多感な時代だと思います。

この20代と30代の節目で、一体どのようなパラダイムシフトが起こるのか、今の自分の思考の変化を踏まえて、感じていることを書き出したいと思います。

行動の量から質へ

尖っている

私は学生時代から様々な行動を起こし、貴重な体験をさせて頂いてきました。

全国規模の学生団体の運営から、起業サークル運営、大学内でのサークル立ち上げ、国際会議参加、東南アジアにバックパッカー、特養で介護士バイト。

きっとこれは将来の自分にとって重要であると感じたことは、金銭的制限を何とかクリアしながら、できる限り体感するように意識していました。

これらの体験は一つ一つの内容にインパクトがあるので、学んだことは多かったと今振り返っても感じています。

しかしスタイルが異なる人も含め、同年代で魅力的な人はたくさんいます。

決して学歴では判断がつかない、魅力的な人はどこから来て、どこへ行くのか。

我々は積極的に行動し、経験を積み重ねればそれで良いのか。その部分に疑問を持たざるを得ませんでした。

行動を起こし、ぶっちぎって走り続けることは素晴らしいことでしたが、今振り返り「価値の最大化」が出来ていたかを再考すると、もっと活かせた体験だったと反省する部分は多いです。

自分とは逆に、内容の濃い体験をしていなくても、しっかり体験を活かし着実に成長している人は数多く存在します。

「感覚の中に存在しなかったものは、意識の中に存在しない」ーアリストテレスー

どれほど貴重な体験をしたとしても、感覚の琴線触れることがなければ、意識することが出来ず、経験として学びにならないことは理解できます。

様々な体験を通して、成長につなげていくために、経験と理性を組み合わせれば、より高い次元の認識をすることが出来たと今振り返れば思います。

今では、主に仕事と向き合いながら、小さな反省点から自分の思考プロセスまで遡り、無意識に行動してしまう欠点を洗い出し、修正することに時間を割いています。

誇れる成功も、壮大な失敗もしていませんが、成長の加速度としては今の方が遥かに大きいと感じています。

それは決して丸くなれということではなく、全方向に無数に尖ると丸くなり、圧が分散され刺さりにくくなるという現象と似ていると感じています。

思考の経験則からフレームワークへ

学生時代は自分で調べたこと、人から聞いたことやアレンジしたことなどを最大限フル活用して、自分なりに考え行動し結果を出してきました。

ゴールを定めチームで動き、目的を達成するために日々奮闘することは今も昔も変わりません。

知識も経験もない当時は、とにかくスタートし、ゴールに向かって走れれば方法論はそこまで重要ではありませんでしたので、かつての方法は有効だったと思います。

しかし最近は、今までの自分なりの方法では非効率性や限界を感じることが増えてきました。

限られた時間の中で、求められた成果を出すためには、今までの自分の方法を捨てて、最適化された手段を取らねば間に合いません。

そのためには、頭が良い人々が考えてくれたフレームワークを参考にすることは非常に有効だと感じています。

自分の発想を超えた、完成度の高いフレームワークを借りることは、使いこなすに時間と労力がかかりますが、それ以上に今まで自分が無意識に当たり前だったことから解放してくれます。

「自分なりにやること」が目的ではなく、「求められた結果を出すこと」が目的に変われば、そのために最適化された手段を取るように努力をする。

逆に、わからないことが一番自分が成長できるポイントなので、できない自分を存分に活かし、成長機会にしています。

得意を伸ばすことは重要ですが、苦手を克服することが、実は得意を伸ばす上で重要だったことを後から気付くことが多かった最近です。

承認による幸福から自律へ

アンサングシンデレラ第4巻第20話長く「看る」こと

学生時代の自分は「存在証明」が重要なテーマでした。

「普通の人になりたくない」「社会の歯車になりたくない」と言っている普通の学生でした。

誰かに自分の存在を見つけてもらいたい、誰かに特別に思ってもらいたい。

普通や当たり前に対する違和感を衝動に変換して行動を積み重ねていくことは、一見アクティブに思われますが、実は何かからの逃避行動であるということがよくあることを自分の経験から感じています。

アクティブな学生は今でも一定数存在しますが、その学生が「向き合っているか・逃げているか」はよく観察してしまいます。

そして、何かから逃げている学生が多い印象があるのは今も昔も変わりません。

しかし、原因や行動が何かよりも、一体その経験から何を学びどのように改善したのかの方が遥かに重要です。

しっかり成長に結びつけられる人間は、原因や行動が悪くてもきっと大物になると思います。

他律に縛られることなく、自律すること。

周りの意見は参考にしても、批判にも賛同にも惑わされずに進む道に歩み始める。

「使命」とは「命を使う」と書きます。

自分が何に対して残された命を使うのか。

どのように過ごしても平等に命は過ぎ去っていきます。

0歳でも20歳でも100歳でも1秒は平等。

何が答えかはわからない中で、必死にもがいています。

そして、同じような仲間がたくさんいることがとてもありがたいです。

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