見出し画像

【不動産屋の雑談】その場しのぎはいけないよ、という話

町の不動産屋に勤めていた。
サザエさんの花沢不動産みたいな。

お客様を物件に案内したり契約書を作ったり、入居後の管理をしたり、家賃支払いが難しい時には相談してもらったり。
これは入居 退去 不動産にまつわるエトセトラの話である。

その日、新しく募集を始める物件の写真を撮るべく私は庭付き戸建てへ車で向かっていた。

築1年にも満たない、というその戸建ては、元は依頼者田口様が息子さん夫婦のために建てたものだそうだが、あっという間に離婚になり、ローンもまだまだ残っているということで賃貸へ出すことになったのだ。

既に引越も済ませ、人も荷物もないらしい。

同じような住宅が並ぶ一画にそのお家はあった。

よし、たぶんこの家。
駐車場に車を停め、お預かりした鍵を取り出した。

初めてのお家を訪ねることってありますか?
そういえば、私はあんまりないな。
と、この時思っていた。

友人の新築祝いへ行ったときは外観写真を送ってもらっていたし、何人かで行ったし、何より表札があった。

戸建住宅はナビ検索しても「目的地周辺です」までだし、いまいちここだ!という確信がもてない。

空き家、という感じはしない。
「ほんとにここかな?」

5分は外からじっと中を伺った。
人の気配はなさそうだ。

表札はないがポストはあるのでDMでも探ろうとしたが、ご近所さんに見られてはまずい気がしたので、やめておいた。

鍵をまわす。
カチリ、
おう開いた!
よかった。

見当違いの家の回りをうろうろした挙げ句、鍵穴をガチャガチャやるような不審者にはならずにすんだ。

さて、資料用の写真を撮ろうと玄関に入ると

人、住んでる…!?

いや、完全、住んでる。

玄関には脱ぎ捨てられた男性用のスニーカーやなんかスリッポンが何足もある。
野球してるんだな、って思いながら玄関に放り出された大人用のバットにグローブを見ていた。

とりあえず「今は」人がいないみたいだし、依頼者田口様には今日中に中を確認しに行くと約束もしていたので、リビングへ向かった。

全然、引っ越してない。
あと、なぜかリビングの床に布団が敷いてある。

その他はもう、普通に人の住んでる家だった。キッチンとか洗面所とか。
普通というか、まぁまぁ汚かった。

中の人が帰ってきたら、私はどういう立場になるのだろうか。鍵は登記上の持ち主から借り受けたけれど、あんまり良くない気がする。

なんだか見てはまずい系のおもちゃとかも落ちてるし。
…大人用なのはバットとグローブだけじゃなかったんだなって。

色々、もう見なかったことにして会社へ戻った。

「なんだか荷物がまだあったように思いましたので、また別日に確認へ向かいます。入居されている方へ確認をお願いします」
と田口(母)様へ電話をしてその日を終えた。

翌日、田口(母)様が大変な勢いで謝りに来られた。貸し出すので出ていけ、といった母親に息子は「わかった、わかった」「でてった、でてった」と言いつつ、嫁が出ていった家で、なんか色々謳歌して暮らしていたらしい。

その日のうちに現状を見に行って田口母も愕然としたらしい。そうだろうな。色々見ましたか?
私たちは大人なので確信には触れず
「大変失礼なことをした、お恥ずかしい」というお母様に
「いえいえお気になさらずに」と言い、その後の貸し出しについての打ち合わせをした。

その一ヶ月後くらいに無事、引っ越しも終えルームクリーニングも済ませた物件は、募集をかけると大人気でアッという間に借り手がついた。

その場しのぎは誰も得しないよ、という話。

最初から最後まで田口息子に会わなくてすんだのが、まぁ良かったところではある。

名前はもちろん仮名です。


気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。